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小説)黄色い雨/フリオ・リャマサーレス 木村榮一訳(2005)

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黄色い雨/フリオ・リャマサーレス 木村榮一訳(2005)
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●冒頭 7
彼らがソブレプエルトの峠に着く頃には、たぶん日が暮れはじめているだろう。黒い影が波のように押し寄せて山々を覆って行くと、血のように赤く濁って崩れかけた太陽がハリエニシダや廃屋と瓦礫の山に力なくしがみつくだろう。

●嵐の痕 21
けれども、ある朝目を覚ますと、あたりは深い静寂に包まれていた。あの風もまた村を捨てて出て行ったのだ。私たちはこの部屋の窓から、強風が残していった爪痕を眺めた。スレートと木材はひき剥がされ、支柱は倒れ、木の枝は折れ、畝と種を蒔いた畑は荒れ果てて、壁が壊れていた。今回の風はこれまでになく激しかった。谷のあたりはとくに強い風が吹いたのか、ポプラの木が何本も倒れたり、土を起こし、根をむき出しにして傾いていた。風は立ち去る前にもう一度家の建ち並んでいる村の中に集結した。手負いの獣のように身をよじり、荒れ狂ったが、そのせいで小鳥や木の葉が、凶暴で情け容赦ない戦闘に巻き込まれた罪のない犠牲者のように村中に散乱していた。木の葉は土掘のそばで渦巻状になって積もっていた。風に吹き飛ばされ、木々や家のガラスに叩きつけられた小鳥が木の葉の間に落ちていた。中には軒先や木の枝に引っかかったり、通りの真ん中で力なく羽をばたつかせている小鳥もいた。サビーナは午前中、雨傘の折れた骨で小鳥の死骸を拾い集めた。その後、ラウロ家の裏庭にそれを積み上げて燃やすことにした。雌犬と私ががっかりしたような顔をしている前で、サビーナは強風が通り過ぎる時に残していった置き土産に油を注いで火をつけた。
(サビーナ/主人公の妻)

●黄色い雨~それは忘却の 49
死に彩られた荒涼広漠とした風景と血も樹液も枯れてしまった人間と木々が立っている果てしない秋、忘却の黄色い雨だけだ。

●記憶の在り処 52
屋根と月。窓と風。私が死ねば、何が残るだろう。私が死に、ベルブーサ村の男たちが死体を発見して、私の目を永遠に閉じたら、彼らはいったい誰の目の中で生きつづけるのだろう。

●黄色い雨~記憶の焚火 62
息子も分かっていたにちがいない。長いあいだ、本当に長いあいだ便りひとつ寄越さなかった。それが突然、返事がくるはずのない手紙を書いてきたのだから、察しはついていたのだろう。時間はいつもさまざまな傷を消し去る。時間は執拗に降りつづく黄色い雨であり、それが燃えさかる火を少しずつ消し去って行く。けれども、記憶の裂け目とでも言うべき焚火が地中にあり、乾ききったその焚火は地下深くで燃えていて、死が奔流の押し寄せてきても、消えることはない。人はその記憶の火と共存しようとつとめ、その上に沈黙と錆を山のように高く積み上げる。しかし、すべてを忘れたと思った頃に、一通の手紙、一枚の写真が届くと、それだけで忘却の薄い氷は粉々に砕け散るのだ。

●腐りゆく記憶 72
私が返事を書かなかったのはそのせいなのだ。私たちを見捨てたばかりか、自分の兄弟まで捨てて村を出て行ったアンドレスを許すわけにはゆかなかった。だからあの日の午後、峠道であの手紙と写真を破り捨てたのだ。それをサンタ・オロシアの沼に投げれば、記憶が時間の沼地で腐敗するように、手紙と写真も沼の底で少しずつ、ゆっくり腐ってゆくはずだった。
(アンドレス/主人公の息子)

●黄の影 159
その時、夜明けの淡い光の中で、雌犬の影もまた黄色くなっていることに気がついた。

●父に倣い棺を作る~下弦の月の夜に斧を振るって 172
以前、私は両親の棺を作った。父は父で自分の両親の棺を作った。だから、自分の棺は自分で作ろうと考えた。( 中略 )木材を用意したのだが、湿気を含んでいて使えなかったのだ。学校に古いシナの木が植わっていた。その木が苦しまないように、春先の、下弦の月の夜に切り倒した。子供の頃、父親が大事な秘密を明かすように、下弦の月の夜に切った木は、地中に埋めても何年も腐らないのだと教えてくれた。私たちだけが知らないだけで、木は生きている。感情もあれば、痛みも感じる。だから、斧が肉に食い込むと、苦痛のあまり身をよじるが、そのせいで筋が入ったり、瘤ができたりする。やがてそこからカビや白蟻が入り込んで腐ってしまうというのだ。しかし、木々は下弦の月の夜は眠っている。熟睡しているあいだに急死する人のように、その時なら木々は自分が斧で切られていることに気づかない。そうして切った材木は肌理が細かく、つるつるしていて、カビや白蟻に侵されることはないので、地中に埋めても何年も腐らないのだ。

●砕け散る黄 173
つねづね私は、願わくば静かな夜、月明かりのもとで眠れる木のように、魔法にかけられたシナの木のように死んでゆきたいと思っていた。しかし、そういう幸運に恵まれそうにもない。私は心細い思いを抱いてたった一人で、血が少しずつ凍ってゆくのを感じながら死んでゆくのだ。死の扉を前にして私は目覚めている ―― 目覚めているだけでなく、意識もはっきりしている。その上、もう何日も前から夜になっても眠ることも、夢を見ることもできない。それだけではまだ足りないとでもいうように、月までが私の目を覚まし、死を目前にしている私を助けるどころか、粉々に砕け散って私を見捨ててしまった。

●白炎のたつ小説 ~木村榮一さんの解説から 202
中学生時代にドストエフスキーの『罪と罰』を読みはじめた時に、作品から白い炎が出ているように感じて、憑かれたように読み終えたのだが、以来本当にいいと思う作品に出会うと、白い炎のようなものが見える。今までにそれが見えたのはバルザックの何冊かの小説、ディケンズの『デービッド・コパフィールド』、ボルヘスのいくつかの短編、コルタサルの『石蹴り遊び』といった作品だが、『黄色い雨』を読んだ時、本当に久しぶりにその白い炎が見えた ――




スケッチ ――
●冒頭を読む
・「彼ら」とは誰だろう

・「日暮れ」への言及→陰、夜の接近と寸前。命や存在、命運に暗い影がさすことの兆しであり予兆、予言のような効果
 ・「黒い影」というつづりに、うえの印象が強まる。「波の押し寄せる」とある。語り手に(?)迫っていることと、なんども繰り返され、これからも続くだろうという予期、諦め、覚悟もあるか?

・「血のように赤く濁って崩れかけ」は語り手の(?)周縁/身体/身近に繰り返されてきたのが血なまぐさい出来事であり、格闘や諍い、争い、死や殺しかもしれないという兆し、刻み、傷、皹のような一文。 
 ・さらに、「赤く濁って」いたのは「太陽」だったと明らかになる。
  ・「太陽」とは? シンボル? テーマ? 生命観? 共同体? 命運? 愛? 熱や輝き? 希望? 神?

・「ハリエニシダや廃屋と瓦礫の山」
 ・これからこの小説は、植物や家屋、その材料に意味を持たせる語りになるのかもしれない。かつ、それらが崩れた血まみれの太陽に寄りかかられ、覆われていく物語かもしれない。

・そして「太陽」は「力なく」「しがみつく」
 ・滅びつつある太陽が、植物や家屋にしがみつく、と書いてある。

・誰かがこちらに向かってきてる。<時間>が短くなっていく。迫ってくる。近づいてくる。残り時間が短い。燃え尽きようとしている蝋燭、あるいは時限爆弾のイメージ。

夕暮れや夜、陰りもおなじように迫っている。「彼ら」と「夕暮れ」はここにおいて同一の地平線上にあり、彼らは夕暮れや影に属すると察する。
語り手は(三人称なら主人公が)おそらく肉体的に消耗しているか疲労、老化していて、希望や意欲、情熱と呼ばれるような感情および状態はなく、願望もろとも崩れ、血まみれの瀕死にあり、ここから語られるのは肉体、消耗、建造と崩壊、落日、終末、まがまがしい者達の襲来、滅亡の物語なのかという悪寒がこみあげる。

●嵐の痕
家屋が語り手の肉体だとすれば、風は「定め」の喩だから、嵐によって瓦礫と化していく建造物および集落全体は語り手の体だけじゃなく精神の倒壊と破損を意味するんだろう。吹き飛ばされれば斃れるし、飛んできた板が刺さったり崩れた石に潰されることもあるだろう。
自然の力のまえに形あるものは何とも脆い。消耗し、離別し、崩れ ―― 期待されていたものは到来せず、一方で禍々しい状況が引き起こされ、飲み込まれる人、根のむきだしになる植物、小鳥たちはちからなく羽をばたつかせ、死んだ。

ここで嵐は手負いの獣として見つめられている。「定め」もまた痛み、傷つき、追い詰められていることの訴えとも読める。
凄惨なドラマに立ち会いながら、糾弾や憤怒に傾かず、その出来事を相対的というよりは総合的に感じ取り、小説の文章を構築する ―― この小説が(『狼たちの月』に特に際立つが)一人称であり、「私」による風景や状況、心理の語りであり、顛末の報告でありながらナルシシズムに耽溺しないのは、リャマサーレスのこういったフェアネスにも因るかもしれない。

妻であるサビーナの「強風が通り過ぎる時に残していった置き土産に油を注いで火をつけた」の火送りは己が魂の火葬だった。やがて彼女は夫に何も告げず、納屋で首をくくる。

最後の村人となる男と女、夫と妻。この対は、嵐に巻かれ崩壊した者/折れて曲がり、剥き出しになった者、壊れたブツを燃した者/壊れたブツを見つめた者であり、そして「生きられなかったもの/死ねなかったもの」との対比でもあるんだろう。

力なく倒れる血まみれの太陽をそれでも信じていたのは、死ななかった夫の方か?
ほんとうに?

●リャマサーレスの小説
記憶
村、共同体、つながり
 共同体の内と外、
  境界のあいまいさ? 線は引いてる?
人間の縦糸(親~子)と横糸(妻、友人、仲間、村人)

流れていく時間とそれに伴って変化する政治・状況・経済 ―― 影響をダイレクトに受け、最速で最先端で変幻する都市・都会・別天地を念頭(隣)に、潮流から離れたところに(傷んだり、滅んだり、崩れたりしながら)存在する場所・空間・共同体

都市と田舎、人と人、人と自然、人と動物に血を通わし、ときに潮や滝、火炎にもなる命運の有様
 →上に書いた縦糸と横糸も燃える。動脈、血管、火縄のようなつながりの糸、さだめ
  →この糸そのものが生きている、ように読める。定めに形や動きが与えられる。汲み取られている。
気配を越えた輪郭、物質の抽出。

言葉が形を掬い、抽象は手応えや触り、上や下や右左のあるなにかに変わっていく、かのように読めるヴァースも多い。

詩的な文体だが、作品は情緒を説明するポエジーに編まれるのではなく、リャマサーレスさんの文の詩性はあくまでも現実を現実として見つめるために発揮されている(ふつう生きているだけじゃ感じ取れない状況や感覚、とくに人と人、人と集合体、村や自然環境と人間、人と動物のような間柄への眼差し、その透明度に詩性が感じられるのかもしれない。あんまりに透明なので「詩のようだ」と口走ってしまうよな。あたかも広大で厳かな風景に出会ったときのように)。

・予言のような冒頭とはじまりに接続される終わりのヴァース、円環の構成
 ・円環といえば作品終盤に、実父が棺を作って死んでいったというエピソードが語られ、自分もそれに倣って棺を作る ―― 父から息子へ、生から死へ、生者から死者へ、目覚めている状態から永遠の眠りへ ―― というつながりも示されていた

・「黄色」という単語の変奏。何度も繰り返されるうち、異なった印象となる。阿修羅の如く。

・木村榮一/白い炎のあがった小説(解説から)
バルザックの何冊かの小説、ディケンズの『デービッド・コパフィールド』、ボルヘスのいくつかの短編、コルタサルの『石蹴り遊び』

木村先生がそう仰るんだから、未読の作品を手にとる!


●LINKS --- フリオ・リャマサーレス
『無声映画のシーン』
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-156.html

『黄色い雨』
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-157.html

『狼たちの月』
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-158.html


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空中に浮かぶラグジュアリーなピンク色の湯船で鼻歌する歌姫が脳裏に浮かぶ、かぶ、かぶぶぶぶーばぶるぶーってなんかキャわゆくって、それでいて蔭もあって笑顔が魅力的 ―― ってモテるタイプの女の子じゃんマイッタ。

2016_7



めめ
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