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小説)アウラ・純な魂 他四篇/カルロス・フエンテス 木村榮一訳(1995)

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アウラ・純な魂 他四篇/カルロス・フエンテス 木村榮一訳(1995)
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―― チャック・モール
●溝 9
仲間の多くは(その中にはおとなしい連中も含まれていた)いずれ立身出世するだろう、だから学生時代にしっかりした友情を築き上げて、その仲間たちと一緒に人生の荒波を渡ってゆこう、と僕は考えていた。しかし、ことはそううまく運ばなかった。現実の世界には法則などないのだ。おとなしい連中の大半はもとの地位にとどまったままだったが、多くのものは、気のおけない集まりで熱っぽく議論を戦わせたときに予測したよりもずっと高い地位まで登りつめた。すべてが約束されているように思い込んでいた残りの僕たちは、卒業後のいろいろな試験で失敗して道の半ばで挫折する羽目になった。勝利を手中にしたものと何一つ手にできなかったものとの間に目に見えない溝ができて、それが僕たちを分けてしまったのだ。

●代償は死 11
時々、ふとリルケのことを思い出す。若き日の冒険の大いなる代償は死であるはずだ。若者たちよ、すべての秘密を胸に秘めて旅立つのだ。

―― 純な魂
●幻影を求めて水の中に飛び込んだ渦の方へ飛んでゆく 151
私は手荷物を持ち、ベレー帽をかぶり直すと、出発ゲートの方へ降りてゆく。ハンドバックとケースを両手に下げ、パスポートを指先でつまんでいるが、ゲートから飛行機のタラップまで行く間になんとかその手紙を引き裂き、冷たい風の中に撒き散らす。きっと細かく引き裂かれたその手紙は霧に運ばれて、あなたが幻影を求めて水の中に飛び込んだ渦の方へ飛んでゆくと思うわ、フアン・ルイス。

―― 解説(木村榮一)
●詩人ケベードの影響 236
(フエンテスは)かねてから親交のあったスペインの映画監督ルイス・ブニュエルから、フランシスコ・ケベードという十七世紀スペインの詩人について話しを聞かされていた。パスやボルヘスも絶賛してやまないというケベードというのは、その痛烈きわまりない風刺と犀利な知性、スカトロジカルなものの見方ゆえに、スペイン語圏のスウィフトとも、あるいはシェイクスピア、ダンとも呼ばれることのある詩人で、生と死、若さと老い、愛の喜びと絶望、美と醜といった相対立するものを結び合わせた詩を数多く残しているが、フエンテスは「アウラ」を書く上でそのケベードの詩からも大きな影響を受けている。 



メモ ――
木村榮一さんの訳本が読みたくてカルロス・フエンテスの短編集を手に取った。フエンテスは何冊か読んでると思ってたけど単著は初めてだったかも。

『純な魂』は終末部の抜粋。比喩も飾りもある純文学調の文体で、右の翼がふるってるが、この短篇は女性の一人語りという設定になっていて、その効果と雰囲気は読んでもらいたいところだが、やっぱりこのスタイルは「A)語り手の感性やキャリア、視点という強烈なフレームがどうしても浮かび上がってしまい、そこに乗れるか乗れないかで読めるか読めないか/引きこまれるか否か」が直接的に決定されてしまう」。
三人称で書いたからといって自由になれるかというとそうでもないんだけど(小説の内容や語りの質・トーン・問題意識や分析、その内容とアングル、質量……信憑性や説得力のどれもこれもが作家に依拠する)、一人称は(A)をより強いるので気になった。
語りのあれこれがナルシシズムにからめとられていく感じ ―― 出来事や事件にしても、当事者ではない読者にとってみたら、語り手ほど入れ込んで考えられないし、ダメージにしても後遺症にしてもそれと同じように切り離されたところにあるものだから、さらにそれを比喩や形容によって語りあげられると、どれだけシリアスな(あるいはコミカルな)内容であろうと、はっきりいえば白けてしまうような感じ、というか。
まぁ……一人称の口語体で600ページからの小説を書いたことのあるおれが言えた話じゃないんですが。


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