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イビチャ・オシムを2冊 ~『オシム 終わりなき闘い』&『急いてはいけない』

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イビチャ・オシム

MEMO------------------------------------
戦争は絶対に嫌だ、と表立って強弁しなければならない時代か。

ヨーロッパ全土でナショナリスティックな政党が台頭している。中国は国際的な理解の得られない領海侵犯を繰り返し、中東では民族主義に凝り固まったゲリラが国家を名乗る。浅はかな金満ナショナリストが罵倒と嘲笑、暴言で大衆を煽り、あれよあれよという間に大統領の座にのし上がったアメリカ政治の混迷はどこへ向かうのか。日本では安倍政権が法案の強行採決を止めない。

世界経済をリードする国々は2000年代の津波 ―― グローバリズムの引き潮にさらわれ、排他的・唯我的・差別的な方向へと引き裂かれつつある。この有様は、複数人種と複数宗教のハイブリッドとして平和国家を成していたにも関わらず、民族主義的な政治権力者たちのエゴに元凶があったといわれる内戦の果て、ついには瓦解した連邦国家、ユーゴスラビアの歴史に酷似する。

『東欧のブラジル』とまで讃えられた旧ユーゴ代表チーム ―― ストイコビッチやボバン、ヤルニ、サビチェビッチにプロシネツキなど才能溢れる代表選手、そして彼らを率いた名将イビチャ・オシム ―― 内戦に痛み、住まいや国籍を変えながら過酷な戦後を生きる彼らは、右傾化する時代をどう見るか。

まずはイビチャ・オシム関連の2冊を手がかりに。
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オシム 終わりなき闘い/木村元彦(2015)



急いてはいけない 加速する時代の「知性」とは/イビチャ・オシム 田村修一訳(2016)

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以下、文末に資料名のないものは『オシム 終わりなき闘い』からの引用、『急いてはいけない』は要約を掲載する。
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<ボスニア>


●ボスニア、入り口が二つある小学校 36
(とある自治体には小学校が一つしかないが)入り口も教室も2つの民族ごとに隔離され、違った内容の授業を別々に受ける。ムスリムとクロアチアの子どもたちはお互い全く交流をしない。コミュニティから出ずに、相手を敵視するようなカリキュラムを受けるので対立感情が募り、「僕らの民族を殺したやつらとは遊びたくない」「あいつら、いつか仕返ししてやる」というコメントを第三者のジャーナリストに対しても平気で発するようになる。

重要な試合では常に勝ち点3を狙う強豪国とは違う。いまのボスニアは(強豪国と渡り合おうとする新興国や古豪は)勝ち点1を獲りに行くという価値観を知るべきだ。(『急いてはいけない』 24)


<ユーゴスラビア>


●ドラガン・ストイコビッチへのインタビュー01 ~ユーゴ最大の懸案 134
時代をさかのぼって考えてみると、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体を余儀なくされたときに、バルカンの国、すなわちユーゴスラビアにも大きな脅威が明らかに迫っていたんだ。ユーゴは6つの共和国から成っていて、統一を維持するのが非常に困難であることは、すでにわかっていた。とりわけ、当時の変革に支持を与えた大国が、ユーゴをカタストロフィに、戦争に追いやったのだ。
(あのとき、アメリカやドイツがユーゴ内紛を回避させようと動いていたら悲劇は起こらなかったのではないか)分裂していく多くのユーゴの各共和国が、それら大国のサポートを得ていたし、この動きを抑制、コントロールするのはとても難しかっただろう。
ユーゴスラビアの最大の問題は、間違いなくボスニア・ヘルツェゴビナだった。実質的に(複数の?)宗教が一か所に、一つの領域に存在していたからだ。ボスニアには緊張や熱狂を緩和しようとするリーダーが存在しなかった。それどころか、反対に問題を激化させ、人々の背中を押して、自らの利益を守ろうとしたのだ。少なくとも僕の理解ではボスニアの戦争は実質的にはあらゆる宗教、あらゆる民族が、自分たちだけの利害を守ろうとしたものだった。そういうエゴがカタストロフィを招いた。当事者が2つではなく、3つだったしね。すごく難しいし複雑だった。

●ドラガン・ストイコビッチへのインタビュー02 ~ユーゴ最大の懸案 134
PKを外して負けた後、僕は芝の上に横になっていた。悲しかった。これで終わりということだからね。イタリアW杯を去るとき、僕らはチームメイトに互いに別れのあいさつを交わした。「次回また会おうな。でも、もしかしたらもう会えないかもしれないな」なんて意味のことを言った。誰もが、それが現実になることはわかっていた。
そんなわけさ。それが人生だよ。悲しいし、つらかったよ。とてもつらかった。

●オシムはストイックな表情を崩そうとしない 34
「自分たちはあの紛争でたまたま幸運なことに生き残ったに過ぎない。多くの無辜なる住民の命が絶たれたことを思うと、妻との再会を美談になどしてほしくない」とかねてより語っていた。


<ユーゴ代表時代>


●監督辞任の真意 130
―― 今一度聞きますが、1992年の代表監督辞任のときのシュワーボ(オシム)の心境はいかがでしたか?
オシムのセリフ(要約)「当然のことをしただけだ。監督としてあのときできる最低限のことをした。監督辞任で何か意味を持つことを示したかった。つまりは戦争反対の表明だ。( 中略 )代表監督の仕事は素晴らしいものではあるが、行動が表す意味も考えなければならないのだ」
ここまで話すと一息ついた。
「あのとき、選手たちが自らピッチを離れればよかったとさえ思った。試合に出るために集まり、そのままどこかへ行ってしまえばよかった。これが選手と我々の抗議行動になる。そうすればその行動の余波が世界に広がり、注目されただろう。
しかし彼らにとって欧州選手権出場は人生一回の機会だった。出場するなとは言えなかった。行動に出られなかったことは今思えば恥ずかしい。( 中略 )チームにとって被害が最小なのは私が辞任することだった。誰にとってもあの辞任が一番よかったのだ。最も綺麗なしめくくりだと思っている」
初めて聞く本音だった。あの戦争のとき選手が出場を拒否していてくれたら……。出場するなと言えていたら……。自己抑制の固まりのような男が、ついに漏らしてくれた当時の葛藤、心象風景だった。
最後にオシムはまたも哲学的なワードを残した。
「オオカミは満腹で、羊は数がそろっている。ということだ」


<正常化委員会への着任と任務の遂行>


●オシムが正常化委員会の仕事を引き受けた流れとボスニアジョーク 120
あれだけ政治家との接触を嫌っていた男が、体調もよくない時期に正常化委員会の仕事を引き受けた。覚悟と決意の源は何であったのか。
シュワーボは口元を緩めて一人芝居を始めた。
ムーヨという男がモスタでネレトバ川に掛かるあるあの有名な橋を通っていた。橋の上は観光客で溢れていて、子どもが橋から落ちてしまった。ムーヨはすぐに飛び込んで子どもを救った。皆拍手喝采でムーヨを讃え、新聞記者がインタビューに来た。『あなたはまさに英雄です。今の気持ちは?』『当然のことをしただけです』『ではこれから英雄として何をしたいですか?』『僕を橋から突き落とした奴を探します』
自分は英雄などではない、たまたまFIFAに突き落とされたに過ぎない。その真意を小話に含みこんで落語家よろしく語ってみせた。
オシムのセリフ(要約)「ユーロ予選のとき、旧知の仲間から呼ばれウィーンに行った。結局、その会合は、旧ユーゴの諸問題について匙を投げる寸前FIFAが仕組んだものだった。FIFAはボスニアを永久除名しようとしたが、一方で正常化委員会を組織して回避の道を探っていた。バイエビッチ、ハジベギッチ、そして私のように選手や指導の経験者が仲裁に戻れば、何かできると考えたのだ」
―― スルプスカ共和国のドディク(※)のところへは行くなという声が周囲からは圧倒的だった。実際、オシムはあの民族浄化の国を認めるのかというバッシングもあった。サラエボの人間にとってはタブーのエリアにそれでも行ったのはなぜですか。
オシムのセリフ(要約)「何か結果を出すためには何かをしなければならい。まずはじめは政治家間で納得させることだった。ボスニアには3つの権力が存在しているが、サッカー協会も3つの実体から成っていた。未だにボスニア内のセルビア系は自分たちのリーグを持っている。誰が権力者か? それがドディクだ」

※ドディク セルビア人共和国=スルプスカ共和国大統領。「コソボがセルビア本国から独立をしたなら、我々スルプスカもボスニアから脱離する」と現行の憲法では許されない行為を宣言したり、「私はボスニアのセルビア人ではない。ただのセルビア人だ」との過激な発言を繰り返している。 100


<ボスニア代表、ワールドカップに出場する>


●ジェコへのインタビュー 才能はいつだって 174
「選手にとって才能は誰かより少し上だったり、誰かより少し足りなかったりするものだが、それも大したことじゃない。意思、熱望が一番重要だ。絶対自分に負けてはいけない。僕はただ自分の力を最大限に表現して、よりよくなるために愚直に力を尽くした。それが、今の結果に繋がっていると思う。成功のレシピは? と聞かれるといつもそれが秘訣だと言っている」

●オシムの警句を思い出す ~ボスニアのW杯出場を決めた、ベダド・イビシェビッチのゴールに 162
(過酷な戦争体験で培われた強い精神力が生んだゴール?)
否、イビシェビッチにそんな因果関係を当てはめるのは失礼だ。こういうとき思い出すのが、オシムが言った警句だ。何かを戦争体験のおかげと語ってしまえば、戦争が必要なものになってしまう。

●オシムがW杯に発つボスニア代表の面々に声をかける 218
次にミスケが来た。
「お前がいなくてもチームは試合に勝てるからな」
思わず苦笑するミスケからプイと視線を外しながら自由の利く右手できつく握手する。辛い立場のプレッシャーを払ってやるためのいつものツンデレだ。


<オシムの警句>


●サッカーの可能性とは? 219
一緒に生きられるということ。一緒に遊び、プレーすること。それで戦争を忘れられる。

『急いてはいけない』より
一人はチームのため、チームは個を引き立てる。理想のチーム(コレクティブなグループ)。 108

現代のクラブチームには貧富の差があり、この隔たりをスタープレーヤーが加速させる。これが次のサッカー界の問題。 115

プレーは大事だが、喜びも必要だ。生きる喜び。 139
真面目に生きるべきだが、楽しむ術を身に付けよ。 140

今日のサッカー、明日、明後日のサッカーを予測し、そのとき自分に何ができるかを考える。今後10年に何ができるのか? 154

明日や明後日のことを考えるのは、すでに進歩である。 196


<あとがきから>


●『オシム 終わりなき闘い』 木村元彦 246
毎度のことだが、バルカン地域は取材をすればその都度新しい問題にぶち当たる。オシムとピクシーの両者が、ユーゴ紛争がすでに以前から周到に準備されていたものであったことをそれぞれに看破していたことが興味深かった。またセルビア人(ボスニア代表選手)のミシモビッチの兄がスルプスカの軍隊にいて実戦に参加していたという事実も衝撃的だった。そしてボスニアの民族主義のトップにいる政治化が何を考えているのか、ドディクとチョービッチの肉声と行動を追った第2章と第4章は、若い学究の方に参考にでもしていただければ書き手として望外の幸である。
筆者としてはユーゴサッカー三部作の続編として書き足りなかったボスニアの現在を記せた。『誇り』『悪者見参』『オシムの言葉』、それぞれの作品に登場して絡み合う事件や試合も多く、民族ごとの意見も異なる。複眼思考が求められる地域ゆえ、未読の方がいれば理解を補完する意味でご高覧願えれば嬉しい。



オシム 終わりなき闘い/木村元彦(2015)



急いてはいけない 加速する時代の「知性」とは/イビチャ・オシム 田村修一訳(2016)



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