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河合隼雄対談集 物語をものがたる(1994

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近代化を図った日本はなぜ「死」を遠ざけたのか?
戦後は「戦争」というトラウマからの逃避だったろうが……





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河合隼雄対談集 物語をものがたる(1994
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【 小栗判官/梅原猛 】
●露骨に出現する地獄 ~日本中世の説得力 261
梅原 ―― 私は、説教節の世界全体が現代的意味をもっていると思っているたのですが、とくに『小栗判官』は、多くの説教節のなかでもっともストーリーに変化がある、波瀾万丈の話しです。そして地獄が露骨に出てくる ――

●鴎外も削除した残虐性 262
梅原 ―― われわれは義理人情という道徳はもっていない。そういう意味では、残虐なのかもしれないし、現代文明はその奥底に残虐性を秘めていると思いますね。
それで、たとえば森鴎外の名作『山椒大夫』と説教節の『山椒大夫』とを比べてみたら( 中略 )説教節では、息子の三郎が山椒大夫の首を鋸で引くのです。それで三郎は、「三途の川を渡るときは、おやじをおぶってやるからな」といって、首を鋸で引く、そのセリフがすごいですね。
(一方の森鴎外版では)残虐な部分は全部カット、太夫も最後に許される。これは彼が近代文学者として登場するための意匠だったのでしょう。ただ中性の人からすれば山椒大夫を許すなんてとんでもないことだと思うでしょうし、結果的に物語としても暗い陰影がすべて欠けてしまった。
これは鴎外個人への批判ではなく、近代というものに対する批判です。

●鋸を引くという供養 ~残虐性が内包する救済 262
河合 ―― 三郎が太夫の首を鋸で引くのは、『小栗判官』で、照手姫が餓鬼病みの小栗判官の車を引くのと同じような描写になっていますね。しかも両方とも「一引《いとひ》き引ききては、千僧供養、二引《ふたひ》き引いては、万僧供養」というセリフがついていますから、引くということが、一方では救済の動作になっているわけです。だから、深く考えれば、三郎が残虐な手段でおやじを殺していることのなかには、すでに救済の意味が含まれている ――

●心象の描写を通じてもたらされるリアル 276
現代の小説は日常、目に見える現実を書こうとしすぎるから、上手に書いてあるけれども、深いところへはいかない。ところが、中世の説話は深いところのイメージを書いているから、現実とまったく違うように見えるけれども、ある意味では、すごい現実を書いているわけです。

2013_0511







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