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【 トワイエ0008 】肉を食らわば、野菜は2倍

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うまく頭が回らなくて、冴えもない。アイデアも年々出にくくなってる。そういえば3年くらい前から物忘れも酷い。サッカー選手や映画監督、作品名など固有名詞がとくにダメだ。えっと……となると取り付く島も無い。まるで脳のなかに穴が空いて、宙をからぶりするかのような喪失感。40才にだってなってないのにな、おれはもう終わったんだな……と燃えカスのようなうんざり感に苛まれてきた。


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20代。混沌に接続すれば溢れるものがあった。頭の病気だったことは理解してる。自分の声、人の声、記憶の声、読み物や映画のなかの声がこだまし、どれかと繋がるだけであっというまにネットワークが形成され、声を辿ると論述めいたもの、批評めいたものが出現した。
これは体質だし、書き物をする役割りを割り振られたんだと意識して、書く仕事をすると決めた。
本格的な執筆と学びの日々。
数年経ったら声が聴こえないようになった。常に誰かの声が頭のなかに響いてる人が、どういう苦しい生活に追い込まれるか、知らないわけじゃない。病気が治ってきたんだ。「幸いなことに」と感謝すべきだろう。


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ところが、書き物の進みが悪くなった。書き物=生きてる目的とし、それでようやく人生の淵に引っかかっていられるおれにとっては、なかなか厳しい現実。やると決め、宣言もし、進み始めたプロジェクトもある。母親に孝行もできてない。あと20年くらいは生きていかなきゃ借りが返せない。どうにか物書きとして独り立ちしないと。見捨てられるのもいやだ。

焦燥感 ―― はやり、おそれ。どうにかして効率を上げなければという誤解、孤独感、さみしさ、つらさ、連続する失敗や中折れの心理状態。これら原因が絡まりあい、読書や人のアイデアの学習、批評や理論の吸収に盲目状態でいた。さらに、不安を感じずにいられる「打ち込んでいる状態」への依存。


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気づけば30代後半。すれっからし。記憶力も激減した。加齢だ。頭が終わったんだ。残りの何十年か、生きてるか死んでるかわからない状態で、死なないで居なきゃならないなんて、どんだけだよ……うんざりするわ。いままで以上のうんざり感だ、という気分で……いたくない。脳が死んでいくんだとしても、あまりにも早すぎないか? 運動もしてる。食事も摂ってる。書き物で生きていこうと決めてから、暴飲暴食はしてないし、生活もそれなりに健康志向でやってきた。アルツハイマー? 検査してないからわからない。ただ、難病にかかったと決め付けるまえに、点検すべきところがあるんじゃないか?


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「20代。溢れ返っていた時代」と上に書いた。たしかに病気があっていつもなにか聴こえていた。書きとめるだけで読み物になった。何か見れば急所にあたりがついたし、それがなぜなのかも自力で導き出せた。けど、あれって声が聴こえてたからだけなのか。

サッカーはどうして面白いのか。映画はなぜ映画なのか。踊りとは? 美術とは? セックスとはなんだ? 生きてる意味、命の意味 ―― 人間がここにいて、自分が存在してることの意味に妄想が掻きたてられれば、拙いなりに書き出したり、繰り返し問答をした。批評家や評論家が上段から作品を見下ろし、決めつけ、断言する様を見れば頭に来て、どうにかやりかえそうと頭を使った。なにか見て、それが面白ければ、自分ならどうするかのアイデアを練った。こうやって、つねに何か考えていた。それが当たり前だったし、鬱々とした気分がほとんどだった暮らしの中、ほんのわずかでも「冴え」を感じることで、どうにかやっていた。


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病気の治まりに反比例して、知識量が増えた。病気についてだけじゃない。書くこと、読むこと、観ることについて。形而上学的な問題には答えが出ないんだと見切りも付いた。「なんにせよ、生きていかなきゃならない」んだと。確かに、それは正しい。なぜ生きているかわからなくたって人生は続き、誰かが自分を支えたり、助けたりしてくれる。この繋がりの中で様々な恵があり、いずれ自分も返したいという気持ちが芽生える。答えのない問題に捉われていようと、解決しない状態が苦しかろうと、誰だってしんどい。自分が土俵から勝手に降りて、たとえば母親に死ぬほど辛い思いをさせるわけにはいかない。なんにせよ、生きていかなきゃならない。経験や知識、技術的なあれこれにしたって、こうして生きた結果、身に付いたものだ。否定するもんじゃない。


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でも、一方でいろいろなことに分別がつきはじめ、必要以上には考えなくなったのも確かだ。生きることに少しづつ馴れたんだ。時間もなかった。小説を書き、様々な批評を読み、内容を覚えて吸収し、いまよりも充実した書き物をすること。書くことを、発言を、考えを、それらしくきちっと構築すること。都会的に、賢く見せなければ相手にされない……業界人の、そんな様子も間近にした。未熟な引き出しを開け閉めしたり、足らない頭で悶々と考える暇なんてない。時間がかかり、間違えばかりになり、ひとりよがりに陥るだけだ。はやく、はやく、成長して、一人前になって、ひとかどの人物として立つ。そのように焦った。


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早とちりだったと、いまはわかる。プロっぽく見せることが上手な人しか相手にしない野郎なんてクズだ。そう、間違いない。業界の連中のほとんどはクズ。肩書きや認知度、若さだとか性別、顔の秀麗を重視する連中なんてクズだと無視してたらよかったんだ。
それと、もうひとつ。
かつてないものを表現できて、はじめて新人選手の資格を得る。それなら、前例に倣うより、自分を掘って行くほうが速度的にも早かったんだ。
人の考えの学習も、前例の探索も、過去の名作の分析も……度を越せば、あるいは、自己不信感や否定感、焦燥感や変化願望にモチベーションがある場合、どれも「自分で考える行為」の放棄につながる。読書時間も作業時間も、オートマチックな心理状態に過ぎないんだ。
いや、それにしたって深層意識は動いてる? 
無意識には経験や思考が溜まってる?
残念だけど、そうじゃない。思考力が落ちたり、自分なりの考えをひりだすのが難しくなるという悪影響が大きい。
無意識の引き出しに判例やヒント、ハウツーを詰め込んでもダメ。意識して考えようとするとき、そんな引き出しの取っ手には、手がかからない。


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独善的でいいって話ではない。先人に学んだり、自分を弁えて、誠実にやっていくなんて、執筆のスタイルを作り上げようとしたら、備えて当たり前の態度。
でも、作家としてやっていきたいのなら、人の書いた物や考えを学びつつ、それ以上に「未熟で、足らなくて、至らない自分自身から離れず、そこからモノを考え、アイデアを絞り出す」行為が必要だった。
「食肉するなら、その倍は野菜を食え」のバランス。
勇気を持って。決意をして。比較や評価にぐらつかず、先入観や誤解にフれず。圧倒的な巨人達の仕事に習いつつ、それでもなお、いまの自分でやっていくという軸をぶらさないこと。
時間はかかるかもしれない。でも、そうするからこそ、自分らしい考えや作品が立ち上がってくるんだし、そうすることこそ、自分ならではの生き方に他ならなかった。

ひたすら自分自身に書けるものを見つめ、それを書いてた頃の位置まで、ようやく戻って来られた感じ。10年近い迷走の果てに。
なんだったんだ、30代。めちゃくちゃしんどかった……。


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トワイエ。ぶっ転がされてきた(うまいこと自尊心が発達しなかった、おれ自身の行いだけど)30代にしても、まだ残りがある。終わりよければ……の結末へと持ち上げる可能性はある。もう自分自身で考えるなんてダメ、アイデアも出ないし、おれの脳みそはクソと化したんだなんて嘆くまえに、加齢や才能の乏しさに落ちぶれるまえに、想像したり分析したり、自分なりに道筋を辿る時間を増やそう ―― とあらためたら、とたんに寝つきが悪くなった。ふぅ。どうしてこう、右を立てたら左が下がるみたいになるのかな、幸さん。露伴を父に持つ貴女にも、そんなことってありましたか。



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