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デザインの仕事/寄籐文平


デザインの仕事/寄籐文平
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●KIT25以前 49~
僕は、ひとつの個性とされる作風が消費されきってしまう前に、次の新しい機軸になるような作風を生み出していこうと考えたわけです。(中略)
それで、ひたすら「今っぽい表現」を資料などで見ておくことにしたんです。(中略 ―― 分析し、取り入れて、新スタイルをつくる方法はあるていど成功した。でも、個人の感覚や引き出しには限度がある。三年もすれば行き詰るとわかっていた)
(中略 ―― クライアント・ディレクターは「彼は人気があるから」とか「よく見るから」とか)多くはそんな動機から依頼が来ているように思えて、同じジャンルでほかにあるものと少しちがっていればいい、というだけなのかもしれないと考えるようになっていきました(とくに雑誌のイラスト)。

●KIT25 53(要約)
KIT25 ―― イラストをパーツに分けて、それらの組み合わせによって多様な絵柄を作る。「絵」ではなく「手法」をダイレクトに販売するイラストレーションワークの仕組み。キットの納品で使用料を得る。フリペ『R25』などで長く使われた。

●本当に「自分らしく」あろうとするなら 54
まずは金を稼ぐしかない。金を稼ぐんだったら頭を使って「個性」でも「手法」でも何でも、手持ちのものを全部さらして、売っぱらうしかない。それが当時の僕のリアルな答えでした。

●技術・経験の交互作用が仕事力の根幹に 59
装丁を通じて考えたアイデアを広告に循環させることができてから、デザイナーとしての表現力と同時に経営基盤がより安定していったようにも思います。

●大貫卓也と佐藤可士和 69
大貫さんは、ディティールの積み重ねでアイコンを作っていくという印象でした。そのアイコンを取り巻く世界の細部を、その意味やニュアンスも含めて練りあげ、力強いインパクトに結びつけていく。でも、そういうディティールさえも要らないというのが佐藤さんの発明だったのではないでしょうか。赤、青、黄の組み合わせでいい、というような。これからのアイコンはそれでいいんです、という風に文脈を転換させたんですよね。社会の変化とも合っていました。

――
佐藤さんの手法は「Smap」って巨大なストーリーが背景にあって初めて成立する。大貫さんのやり方もテレビなど巨額の費用をかけられる企業の広告ならでは。中小企業の広告展開に取り入れるとしたら、かなりの工夫や、やれる企業も絞られる(地元じゃ知らない人がいない、みたいな会社とかなら可能かも?)し、別世界の話に聞こえるけど、別世界の話として面白い。大貫さんと佐藤さんの広告哲学や手法(とはいっても、彼らにしたって請け負ったすべての仕事で作家性を際立たせてるんじゃなくて、ふつーの作り方をした広告もたくさんあるはずですが)の違いが読み取れる。

●「簡潔」は伝わりやすい 70
複雑に表現を工夫するよりも要素を簡潔にしていったほうが、どうも伝わりやすいし、効果的みたいだぞっていう話になっていった印象です。(中略)ビット数を減らすほうが、データも軽くなって高速でやりとりできますよね。そのような新しい時代のアイコンには、さきほど伝えたような「ディティールのないもの」「赤、青、黄の組み合わせ、みたいなシンプルなもの」こそがふさわしかったのだと思います。

●デザインはどんどん「既にある単純な記号の組み合わせ」になっていった 70
その代わりに、ストーリーの方はどんどん設計が複雑になっていったように思います。(中略 ―― 「円」が太陽や地球を喩える)あとは、どこまで説得力のあるストーリーを設計できるかっていう話になります(制作費はその点に支払われるようになった)。

●記号を差異化するためのストーリー 71
ストーリーというのは、記号を作成することを目的にして組み立てられていた水面下のものなのだけれども、それを表に出さなければならないほど、記号だけでは差異化しきれなくなっていったわけです。

――
でも結局「記号を差異化するストーリー」も使いまわされ、記号と文脈がパッケージになる。「この円は太陽です」という根拠もテンプレート→広告は差異化を宿命とする→「あの人はまったく違う文脈で太陽を描ける」という評判→また作家性や実存主義へとリバウンド

●実存×汎用とは異なる極への想像力 77
さきほど「戻ればいいというわけではない」と伝えたように、両者を対立で捉える考え方自体がだめなんだろう、もっとぜんぜんちがう種類の回路が求められているのではないのか、という感覚があるのです。

●善き書店員 ~極の間でバランスをとる 79
『善き書店員』という本はすごく実存的な「イクオリティ」(複雑なノイズも無視せず、できるだけ現実のイコールであることに価値を見出す(著者の定義))寄りで作ったものでした。(中略)
一方では、「世の中に差異を推すばかりの装丁が多い中に実存的な装丁があれば、必然的に目立つだろうな」という計算もあったわけです。(中略)
「クラインの壺」みたいに差異と実存の表と裏がピタッとくっついた状態が見えるので、むしろ実存を進めることで差異もできていくんです。僕が言う「極の間でバランスをとること」とは、たとえばそういうことなのです。

クラインの壺的なイメージは有効なんだろうな。そこまで考えてデザインできたこと一回もないけど、やってみたい。
あとは実存と汎用の行ったり来たり、あるいはその中間を意識するというだけじゃなくて、これからは複数の実存みたいなグループワークも加速してくんじゃないかな。
それぞれ別の技能をもった複数人が構成するチームっていうか、これからの時代はとくに人間に限らず、AIのスタッフがいたり、AIがリーダーになったり。
チームワークだからって個性を薄めて貢献するというのとは違う。汎用性・匿名的になっていくんじゃなくて、際立った個性や可能性・技術をもって仕事に参加するっていうか、まあ、江戸時代の家作りなんてそういう感じだったわけだから、なんも新しくないけど……グループもメンバーは流動的で、なんとなくチームの方向性やキャラクターはあるけど毎回ちょっと異なる広告が出てくる、みたいな。
チーム内における差異と社会的・業界的→チームの外に対する差異が両方生じるようなグループワークのイメージも湧く。お金と人員をさける大きな仕事で動いてる世界ではすでにやってるのかもね。地方で中小企業で、こういうやり方ができれば、いままでよりも効果のある、波及性のあるメディアや広告がつくれるかも。


●血の通ったピクトグラム 89~
僕が作った人型のピクトグラムのポイントは股間なんです。小さな丸い穴が空いているんです。ピクトグラムがビジュアルとして持つかというのが、この広告デザインの生命線だったんすけど、細かい話をすれば、この穴があるおかげでビジュアルとして持つんですよね。
(中略)
ビジュアルを簡潔にしなきゃならないけれど、ピクトグラムで出来ていてもビジュアルとして品質を感じさせるものにしなきゃいけないということが大きなテーマで、それをどういう風に実現させるのかということがすごくむずかしかったんです。(中略)人が作っている感じというか、企画をアナウンスしているんじゃなくて、話をしていますという感じがしてほしかったわけですね。

●アイデアがうまく形にならない時 104
抜本的にうまくいっていない場合が多い、と思います。割と初期の段階で、レイアウトの細かい文字の間隔とか、同じ書体の微妙なバリエーションとか、0.5ミリ単位の位置の違いみたいなものを調整しはじめたら、そのアイデアはうまくいっていない可能性が高いんです。

●単純かつ多様なもの 129
長い目で見れば、単純かつ多様なものが生き残るというのが、今のところの僕の考えです。

●グリッドの起源は聖書の組版 184
(グリッドデザインの)秩序の与え方は、西洋では聖書の組版をやる時からおこなわれてきたようです。

●SNS全盛の時代に 197
自分がデザインしたり、つくりだしたものが、SNSなどを通じて広まったり、それによって次の仕事やチャンスがもたらされたりすれば、そういった活動に一生懸命になっていくことがあるかもしれません。(中略 ―― 大切なことだと思う)
ただ、時々ちょっと立ち止まって、そういった活動を駆動しているものが何なのかということにも目を向けてほしいと思います。
一方で、自分を積極的にアピールできなくても、むしろそれがうまくできないことも含めて、敢えて距離をとりながら見守ってくれている、温かい視線も確実にあるのだということも、伝えておきたいと思います。

――
「敢えて距離をとりながら見守ってくれている、温かい視線」っていいですね。そんなまなざしに感謝しながら仕事したい。




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