和歌山バガボンド  ~読書と木工、ときどき空想~

黒髪ボブの三十路ピーターパンがWakayamaライフを着流しでスケッチ

紙葉の家/マーク・Z・ダニエレブスキー (2002

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紙葉の家/マーク・Z・ダニエレブスキー(2002
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エコーのないところには空間の描写も、愛もない。
ただ沈黙があるだけだ。 59

「カレン!」とうとう彼は叫んだ。“アレン”というエコーはほとんどすぐに消えてしまう。「トム!」すぐにその“オム”も消えはじめるが、完全に消えてしまう直前、最後の“オム”に彼の声よりも高い別の音が絡みついてきたように思えた。 82

「何だか気味が悪いぜ」長い登りの途中でワックスがつぶやく。「何かについて考えるのをやめると、そいつが消えていくみたいなんだ。ポケットのジッパーのことを忘れると、それがなくなる。ここは当然だってものが一つもない」
ジェドが声に出して「[ホロウェイは]どこにいるんだ?」と言うと、沈黙がその答えを語っているかのようだ。 151

「将来の新聞や雑誌の読者にとって、報道写真はルポルタージュではなく、イラストのようなものになっているだろう。本物の写真と手を加えられた写真を区別するのが不可能だということに、みんな気がついてしまうからだ。報道カメラマンや編集者は電子的な改変の誘惑に抵抗するだろうし、現にしていると思うが、それでも複製画像そのものに対する期待が小さくなって、信頼性は低下しつづける。簡単に言えば、写真は以前ほど本物らしく見えなくなっていくだろう」 171

「おれが赤いシャツを着るのは、負傷しても出血がわからないようにするためだ。そうすれば全員が恐れずに戦いつづけられる」このすばらしい勇気の発露には誰もが感動を覚えた。
さてその翌日、十隻の海賊船が出現した。船員たちは船長を仰ぎ見て、いつもの命令が出されるのを待った。船長は落ち着き払ってこう命令した。「おれに茶色いズボンを持ってこい」 290

老人が( 中略 )パンク男を見つめつづけた。( 中略 )
「爺さん、あんたは若いころばかな真似をした覚えはないって言うのか?」
間髪を入れずに老人が答えた。
「うむ。海軍時代にシンガポールにいて、ある晩酔っ払って極楽鳥とセックスしたことがある。きみはわたしの息子じゃないかと思っていたんだ」 291

( 中略 ―― 家の壁から採取した成分表を見ながら)「……これが地球以外のどこかからやってきたのは明らかだ。月というのも疑わしいと思う。たぶん太陽系内のどこかだろう。( 中略 )この重水素は太陽系そのものより古いものかもしれない。たぶん星間物質だ。つまりそういうこと ―― 実にすてきな歴史の断片だよ」 431

「闇を記憶することはできない。だから洞窟探検家は、たった今までそこにいた見えない深みへと戻りたがるのだ。それは一種の中毒で、満足した者は誰もいない。闇もまた満足を与えない。とくに闇が何かを持ち去っていくときには。そしてまた、闇はかならず何かを持ち去っていくのだ」(※ルイス・マープラットからの引用として) 441

[一ページ] 愛するカレンへ
( 中略 )
なぜこんなことをするんだろうな? それがそこにあって、でもぼくはそこにいないからだ。ばかげた答えだってことはわかっている。こんな家は燃やして、忘れてしまうべきなのかもしれない。でもこういうものを追いかけるのがぼくって人間なんだ。きみも知ってるとおり。

[二ページ]
もしぼくがこんなふうじゃなかったら、ぼくたちはそもそも出会うことだってなかったろう。ぼくは道路のまん中でいきなり車をとめて歩道に駆け寄り、きみに声をかけたりしなかったろうから。言い訳はいいって? でもぼくはXXXXと子供たちを捨てて大冒険に乗り出すとんだくそ野郎なんだから。少しは成長すべきだよな。ぼくだって成長しようと思ったし、努力もした。でも言うは/書くは易し行なうは難しでね。
( 中略 )
神を信じるかい? 今、ぼくは神を信じてる。でもぼくの神はカトリック的な変種じゃないし( 中略 )神は家なんだ。ぼくたちの家が神の住む家だとか、神の持ち物だとか言ってるわけじゃない。家自体が神そのものなんだ。 444

[三ページ]
XXXX X XXX XXXXX XXXX XXXX XXXXXX
頭がおかしくなったと思うかい? そう、そう、そう、たぶん飲みすぎているんだ。どうかしてるってことは認めるしかない。神に住所があるなんてね。今書いたことはみんな忘れてくれ。何でもないんだ。きみに会いたい。きみに会いたい。
これは読み返さないつもりだ。読み返したらきっと丸めて捨てて、もっとちゃんとした、きれいでまともな手紙を書き直してしまうだろう。何も語っていない手紙を。きみはぼくって人間をよくわかってる。きっとアルコールの靄と恐怖と間違いの向こうにある、本当に大切なことを見抜いてくれるだろう ―― ( 中略 )今、ぼくは泣いている。でももし涙を止めようとしたら書くのもやめてしまって、もう再開できないだろう。きみに会いたい。 446

ついにネイヴィッドソンの言葉が、旋律が、震え声のつぶやきが、苦しそうなあえぎに変わる。自分の声がこの世界を温めることが決してないのを彼は知っている。それはたぶんどんな声にもできないことだ。思い出も浮かんでこなくなる。悲しみも、もはやどうでもよくなっている。
ネイヴィッドソンは忘れかけている。
ネイヴィッドソンは死にかけている。 547

しなければならないと思うなら、何でもなさい。でも本当の強さは自分をコントロールすることでしか得られないことを忘れないで。衝動を制御できるようになればなるほど、潜在能力も大きくなっていくはずよ。
      おまえを崇拝し、愛してやまない
      ママより 680

一九八五年三月七日

愛するかわいいジョニー

まだ生きているわ。残念ながら真冬はおまえの母親にあまり優しくなくて、病状がそもそもここに連れてこられたころと同じところまで戻ってしまったの。おまえのすばらしいお父様が気高く立ち向かった病状ね。
ここの人たちはみんな優しくて、中でも誠実な院長先生はよく面倒を見てくれるけど、それでもわたしがときどき荒れるのは抑えられなくて、あまり認めたくないんだけど、妄想にとらわれることもあるの。悲しいけれど事実よ。ときどき幻覚を見るの。
わたしは昔のわたしではない。ノン・スム・クアリス・エラム。
それでもおまえのことを考えると、一時的にせよ心が安らぐわ。ジョニーという名前を聞いただけで、雨に濡れた草原やお茶に入れたミントの若芽や、真夜中に夜光虫の航跡を残して滑るように進むボートといった楽しい思い出が甦ってくる ―― 星々のすべての歴史が、湾の中にちらりと垣間見えるの。
( 中略 )

      愛してます。
      ママより 689

一九八五年十一月一日

誰より愛しいジョニー

( 中略 )

おまえの美しい言葉を読み損なうなんて、よくそれで教師が勤まるわね。色もわからず、メロディも追えないのと同じだわ。勇気を持って、そんな教師は無視なさい。運命は勇者に味方する。(ルビ ―― フオルテス・フオルトウナ・ユヴアト)おまえの心の中にある貴重な音楽に、今もこれからもおまえ自身以外の何ものでもない、奇跡のようにユニークな存在に自信を持ちなさい。そうすれば間違いを犯すことなんてないわ。言うだけなら簡単だってわかってもいるけど。 703

一九八八年十一月二十七日

愛しい愛しいジョニー

( 中略 )
ヴィクトリア・ルーカスはかつてどんなものも「人間の心の地獄ほど……黒くはない」と書いたけれど、それは彼女がおまえを知らなかったからね。おまえはあまりにも輝いていて、そのまま燃え上がって二度と会えなくなってしまうのではないかと恐ろしくなり、思わず目を細めてしまうくらいよ。
( 中略 )
数時間のあいだ、わたしは過去の年月からすっかり自由になっていたわ。自由で愚かに。また女学生のわたしに戻ってしまって、すばらしい若者を前に、くすくす笑ってばかりいたわ。
( 中略 )
わたしは体調もいいし、何より楽しみはおまえのそばにいて、困難な使命に駆り立て、障害が乗り越えられそうもなく敵が打ち破れそうもないときには、また魔女の役割を果たして恐るべき呪文を投げかけることなのよ。
わたしに心を開いて。秘密を知ってもおまえを苦しめるようなことはしないわ。母が自分の子供の心の傷を読み取れないなんて思わないで。おまえが日夜それに苦しんでいるというのに。

      ここにいるわ。ずっとおまえを
      思って。今も優しさと理解と、
      何よりも愛にあふれて。

      母より 732

一九八八年三月三十一日

愛しいジョニー

あんなすてきな手紙をくれたのに、どうしてスーツケースのことには一言も触れていないの?
無理なお願いをしているんだったら、そう言ってちょうだい。母は有能な女性です。ほかの方法を見つけるわ。
そんなわけでかなり怒っているわ。院長先生がきょうでお辞めになって、荷物をまとめてあればわたしも一緒に退院していいと言われていたのに。
困ったことだわ。荷物をまとめるのは得意なのに、それを入れるものが何もないせいで、新しい人生の飛躍につまずいてしまったの ―― 太陽の下で、おまえといっしょにまどろむ人生への。

      愛

      P.

(錯綜が深まっている。スーツケースの件も、退院も、まどろみも、彼女の妄想)

一九八八年五月三日

愛しいジョン

スーツケースがないものだから ―― アメジストのもライラックのも、どんな色のも ―― 荷物を置くところがなくて、みんななくなってしまったわ。実はどこへ行ったのかわからないの。きっと働き蜂どもが盗んだのね。
ところで、勘違いしていました。院長先生は辞めてなかったの。まだここにいるわ。新しい院長先生も前と同じ人だったのよ。つまり何もかも問題ないっていうこと。ただ前の院長先生の態度が、このところ少しおかしいみたい。
きっとわたしが何か困らせることをしたのね。( 中略 )織物の中に、一本だけ曲がったワイヤーが絡んでるいるみたい。
まあいいわ。世界がどう感じるかなんていうことは。どうせわたしはもうすぐいなくなるんだから。でも簡単なことじゃないのよ。とりわけこの年老いたクーマイの巫女には。
どんな地方もやっぱり大変よ。正直なところ、計画と書類仕事で疲れ果てているわ。
ドニーがもうすぐ迎えにきてくれる。でもおまえは、愛しいわが子、もうしばらくこっちにいなさい。
わたしのためにそうしてちょうだい。
      ママ

(遺言になる手紙。彼女は手紙を書いた翌々日の五日、クロゼットにフックに結び付けたベッドのシーツで首を吊る)
















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