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どこにもないところからの手紙/ジョナス・メカス 村田郁夫訳(2005

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どこにもないところからの手紙ジョナスメカス 村田郁夫訳(2005
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第五の手紙 一九九四年九月 43

九月の初旬をポルトガルで過ごした。リスボンから北に二百キロ、フィゲイラ・ダ・フォス市がある。市と言うよりはむしろ避暑地で、毎年、国際映画祭が催される。今年私は映画祭に招待され、市長から名誉招待客証まで授かった。マスコミは私に非常に好意的だったし、リトアニアの国名が毎日のように新聞に出た。それにワインもとても美味しかった。
しかし、私が書きたいことは、まったく別のことだ。
ポルトガルに旅立つ二日まえ、私はとても貴重な二つの土地を通ることを知った。バターリャ修道院とファティマである。帰途はリスボンからニューヨークに飛ばなければならないので、二つの土地に立ち寄るために、私は十分な余裕をもって、少し早めに旅立つことを映画祭の主催者に願い出た。主催者は私の願いにとても感激し、承知してくれた。というのは、そのような申し出をした招待客が他にはいなかったからだ。
バターリャ修道院のカテドラルは十四世紀末の末に建築が始まった。それはポルトガル人が自国に攻め込んできたスペイン軍を撃退し、独立を守った際に建てられたものである。今日でも人々が自由をかち得た時に記念碑を立てることを思い浮かべてみるがよい。当時、彼らはなんと、カテドラルを建造した! バターリャのカテドラルはヨーロッパ中で最も美しいものの一つに数えられている。それは宗教建築の法悦の瞬間だった。さらに奇蹟的なのは、建築家アルフォンソ・ドミンゲスが、この建築史上の傑作を計画したとき、すでに大変な高齢で、眼がまったく見えなかったことだ。世界の最良の事物には、語られるべき来歴がたくさんあるに違いない……。


「ここにわが家があった、今は畑だが」ジョナスメカス
セメニシュケイにて(1995) 79


第十二の手紙 一九九五年三月 137

リトアニアの新しい、若い詩人たちの詩を読んで、私は分かった。そう、私はもう詩を書くまい。あなた達はすでに、どこかまったく別の場所にいる ―― 言葉の面でも、時間の微妙なニュアンスの面でも、どこか遠い彼方に……私は哀れな牛飼いにすぎず、相も変わらず自分の言葉の堆積の周りで農民の言葉を掻き集めたり、まき散らしたりしている。
いや、リトアニア語ではもう詩は書くまい……私の言葉も、リズムも、血の循環も違っている。そして私の楽園も、私の地獄も、まったく別の光と炎で燃えている。
若い詩人たち、私はあなた達の言葉を羨み、自分が時に風に軋み揺れる枝にすぎないと感じながら、あなた達の詩を読んでいる……。
いや、わが朋友たち、私はあなた達の新しい歌を歌えない ―― 私の歌は古くさい。それにひきかえ、あなた達の歌は実に現代風で、括弧も、句読点もなく ―― 思想は渾然一体となって融合し、内容がすべてが澱みなく流れていく。


あとがき/村田郁夫
(林浩平によると「どこにもないところ」とは、トマス・モア『ユートピア』(1516)、つまり理想郷と関係があるのではないかと) ―― 「どこにもない場所・理想郷」 ―― Paradise「パラダイス・楽園 ―― 幸福の瞬間」を匿していることになりそうだ。「どこでもないところからの手紙」には「楽園からの手紙」が含意されていると今では解釈している。これらのメカスの手紙のなかに何度「楽園」が出てくることだろう。














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