和歌山バガボンド  ~読書と木工、ときどき空想~

黒髪ボブの三十路ピーターパンがWakayamaライフを着流しでスケッチ

「思春期を考える」ことについて/中井久夫(2011)

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まず、一般に、病気の話を聞いたり読んだりすると自分や近しい人がどうもその病気に思えてくることはよくあることとお考え下さい ―― 10

皆が高学歴をめざすが故に問題なのではない。問題は教師も青少年も家族すらも、教育の内容や授業の意義、学校選択が、一つの人生選択にふさわしい重みをもはや感じられなくなってきていることである。学校はただ、強迫的なるものの網をすっぽり児童と思春期の者にかぶせる場になりつつある。もとより、強迫的なものは人間の内に潜んでいるが、それを誘惑して明るみに出し、賞揚し、磨きをかける大道場が学校というものの大きな側面である。 48

―― 患者の、心の平和への希求を自分が認識していることを態度で示すことである。私は、端的に「今はそうは思えないだろうけれども、ほんとうは大丈夫なのだ」と耳許でささやくことがある。 163

「人間はシングル・パンチでは参らないけれども、姿勢を立て直さないうちに次の波がきたらきついですね」 180

患者に負担がかかりはじめたときがいつ頃かということで、これは生活史を、私の習慣だと年表のようなものを書きながらきいてゆくと、固定しやすい。たとえば、初めての子が生まれたことと、父の死と、昇進が、近接しているとか。この近接を、患者は意識していないことがふしぎに多い。聞くほうも、宙《そら》で聞いているだけでは掴みそこなうことが少なくない。 181

「昔の井戸のポンプは何かの拍子に水を吸い上げなくなることがある。ガチャガチャあせって腕木を上下しても上がってこない。しかし何かの拍子にまた水があがってくるものです。今は水が上がってこない時期なので、地下水がなくなったわけでは決してない」 195

うつ病患者には「君の気持ちがわかるわかる」といってはならないので、「うつ病者の苦しみはうつ病になった人でないとわからない、いや、当人でないとわからない」という ―― 196

治る途中では、夕方にはもう治ったと思い、朝にがっかりするのであるが、これがさらに強くなる。このあだな望みと失望のくり返しは、息をする風のように屋台骨をゆさぶるので( 中略 ―― 診察密度を上げ、薬を工夫したり)する必要がある。むろん「必ず一時である」と言う。 197

患者が少し元気になるとさっそく何かしたくなることについて ――
長い間小遣いをもらえなかった人に一寸臨時収入が入った時の心理に似ているらしい。つまらないものを買っていつの間にか使ってしまっている、ということになる。具体的には、一寸会社へ出てみたり、ジョギングをはじめたり、習い事をしたりである。「ここでぐっとがまんして、少し元手がふえると、むしろむだ使いせずに、貯金ができます」という説明は、わりと通じるようである。 197

患者は、次第に回復してくるにつれて、寝ざめ心地や食事の味がわかるようになる。生活を生きるだけでなく、味わうことに次第に窓が開いてくるようになりうるので、その間に次第に幾分新しい生き方がみえてくることも決して少なくない。 199




sketch ――

すこし回復すれば(蘇った気がすれば)すぐになにか始めたくなるって、よくわかる。
『一寸臨時収入が入った時の心理 ―― 』
貧乏性だとか焦燥感だとか ―― 誰と競争してるわけでもないのにな。
どれもこれも錯覚で、投影で、しかしそれが人間が感じ取る(と錯覚している)「現実感」の正体だろう。
(錯覚でないイメージ・感覚・見覚えがあるか?)
読めないもの、見えないもの、触れられないもの ――
信じる、信じないに関わらずそれは「ここ/この世界/場所/現在」を構成する(成り立たせる)原理・原則で、だから人間は常にとりとめもなく不安で平均を取れない生き物だが、この不安を増幅させる(肥大)様々なエレメントがあって、たとえばその一つが「生きること」だったりする。
社会に適応させる・人格形成を助ける・能力を伸ばすという教育界のいいわけ《エクスキューズ》。
社会に出たからには成長「しなければなら」ず、サバイブすべく磨「かなければならない」という誤解《オブセッション》。
でも、経済はそこを突いてくる。執拗に、周到に。
となったら、根源的に(不可避に)込み上げる「さみしさ」を金で紛らわすやりかたいがい、どんな方法があるっていうのか。
システムの弊害 ―― いや、副作用、もしくはトレード。抵当に入れている状態。

他のやりかた?
心のきめや精神を売り払い、競争と生産に換えていくんじゃない、別のやりかた?

あるにはあるだろうが、経済的な先進国は見つけようとしない。
自分自身でやるしかない。
やろうとすると社会のルールやセオリーと衝突して、どうしたって孤立する。
まあ、ずっとそうだった。

「ここでぐっとがまんして、少し元手がふえると、むしろむだ使いせずに、貯金ができます」

「昔の井戸のポンプは何かの拍子に水を吸い上げなくなることがある。ガチャガチャあせって腕木を上下しても上がってこない。しかし何かの拍子にまた水があがってくるものです。今は水が上がってこない時期なので、地下水がなくなったわけでは決してない」 195

「あたらしい生き方」とは何のことをいうのか?
「ふるさ(影)」の不幸なる創出をともなわない「あたらしさ(光)」の感受はありうるだろうか。






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