バガボンド和歌山

ARTICLE PAGE

こんなとき私はどうしてきたか/中井久夫(2007)




こんなとき私はどうしてきたか中井久夫(2007)
------------------------------------
(意訳)
●回復初期には「忘れられてはならない」 126
治りかけというのは大切な時期です。
しかし、われわれ(治療者側の人間は)患者の症状が治まれば急に気を抜きがちですし、そもそもの人間は ―― 嫌なこと、負担になるようなことは早く忘れようとします。
でも震災や事故、犯罪の被害者は口を揃えていいます。
「おれたちより先に忘れないでくれ」
そもそも彼ら彼女らが聞いている幻聴、見ている妄想は、このさみしさや孤独感を覆い隠すために生じている。
治りかけの患者さんは、ここに輪をかけて非常にさみしいのです。何週か遅れて運動場を走っているような感じでしょうね。この時期をどう過ごすかによって、病気が慢性化するか回復するかがかなり決まるだろうと、私は思います。

●早咲きの花は霜に耐えない 128
保護室から出たとき、あるいは急性期を抜けたときというのは( 中略 ―― いわゆる躁転)「一過性の自己価値高揚」 ――
これは「早咲きの花」で霜に耐えない。
この時期にいる患者さんに(本人は回復したと思っている)用紙を渡し「自由に切ってください」というと、できないのです。
「自由という意味がわかりません」
そして、すごく疲労する。紙をどう切るかだけでも決断が必要で、それができない、まだそれだけのエネルギーが出てこないのですね。

●「疲れの水深」を測ってみる ―― 回復のしるし 164
「疲れの程度」を測るのはむずかしいのですが、回復の初期にいる患者さんは何かをやろうがやるまいが疲れています。これははっきりしています。やがて疲れが浅くなると、ストレスが加わったり余分な仕事をしたときに疲れ、そうでないときにはそれほど疲れないというふうに、日々の行動によって疲れの度合いが決まってくる。これは回復のしるしです。

●弓は満々に引き絞って放つこと 129
私は上でお話した「この自由にを描いてもらう」ことの反応を“疲れメーター”といっています。
「これをやって疲れなかったかい?」と言うと、患者さんはだいたい「疲れました」と言います。
でも、 そのうち切れるようになります。
回復に向かいはじめると誰だって「おお、意欲が出てきた」と喜ぶものです。
ところがそうじゃない。医療者は気をつけなければいけません。弓でいえば、ギューッと引き絞って、じっと待ってから矢を放つのが社会復帰なんです。この時期は挫折感を味わわせないよう注意し(挫折の重みが症状を慢性化させます)、「はやく働いて」「これからのことを考えて」などとチクチク刺激しないように気をつけ、患者さんにはこう告げてください。
「いまは力をためるときでいい」
患者さんは徐々に、ゆるやかに変化します。
色彩感覚も、赤と黒、青と黄色など対象色から、オレンジ色から檸檬色などのグラデーション、類似色への嗜好に変化します。

●病気中心の人生にしてはいけない 135
患者さんが精密に病状を教えてくれると私は膝を乗り出して聴き、どうしてもそれをノートにしてしまう。すると患者さんはそんな私に応えようと、もっともっと考えて、語ろうとします。
医者は長く勤めると、こういうサイクルを疑わなくなるのですね。家族だってそういうところがあります。でも、これが患者に病的体験中心の人生を送らせてしまう。これを修正するのはとても難しいことです、むずかしいけれども、ぜひともあらためなければいけない。

●よりよりものとしての病後を生きる 132
私は患者さんによく言います。
「病気の前に戻ればいいのではないのです。病気の前というのは、いつ病気になっても仕方のない不安定さがどこかにあったんじゃないですか?」
たとえ見栄がしなくても、病気の前よりも安定した状態まで治療をしなければならないところに精神科のむずかしさもあるし、やりがいもあるんです。



・「思春期を考える」ことについて/中井久夫(2011)
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-43.html

・「伝える」ことと「伝わる」こと/中井久夫(2011)
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-44.html











「回復した、復帰できる、あらたなことに取り組んでよい」時期をどう見定めるかは難しい。
ここを踏み外して、吐き違えて(そもそも元気が出れば“治った”と思うものだったし。風邪とかみたいに)なんど彷徨ったことか。
「疲れの深度」という切り口はひとつのしるしをくれる。

中井さんは『「したらよいと思うことはたくさんある。でも、なにもしないでも、それでもよいな」と思うところまで一緒に歩いていきましょう』と患者に語りかける。
しなければならないことができず、遅れ、そもそもずっと遅れていて、いまや周回遅れで取り戻せないほど絶望的で、脚はふらふら、息も絶え絶え、目の前の景色は酸欠と涙でぼんやりとしか映らない ―― “焦りの塊”にたとえられる心を病んだ患者たちは、中井さんのそんな投げかけに、どれだけ励まされるだろう。

ゆっくりでいい、人と同じでなくていい、なにもしないでいい ―― そして、そんな自分にあわせて歩いてくれるというエール ――

語り掛けるということについては、20世紀を代表する宗教家のギュスターヴ・モローを思い出す。

やがて21世紀を興すことになる若きアンリ・マチスに出会ったモローは、マチスのことがわからず、やっている絵にも共感できず、むしろ批判や疑念が渦巻いていたにもかかわらず「マチス、わたしは君がわからない。でも、君はなにか大事なことをやろうとしているのだろう。君が思うままに描いてほしい」と語りかけた。

モローマチス、20世紀と21世紀 ――

ふたりには芸術観、絵観に断絶《ギャップ》があり、とくに当時のモローは名を成した家・指導者だったから、所詮は生意気な学生でしかないアンリ・マチスがどれだけ変わった風で変わった作品を描いてセンセーションを巻き起こしたからといって、気に留める必要などなかった。まったくなかった。

だがモローは ――

この一件については後日、スケッチを。






関連記事
スポンサーサイト
こんなとき私はどうしてきたか中井久夫モローマチス印象派音楽宗教

Comments 0

Leave a reply