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ダブリンの4人―ワイルド、イェイツ、ジョイス、そしてベケット




ダブリンの4人―ワイルド、イェイツ、ジョイス、そしてベケット
R・エルマン 大澤正佳訳(1993


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(ベケットは)旅をするほかは、とりわけて何をするでもなくぶらぶらし、ぶらぶらしながら幾つかの国語を吸収し、恋愛沙汰に身をゆだねます。こうして成行きまかせに暮らしているうちに、やがて「ぎりぎりの土壇場《イン・ザ・ラースト・デイッチ》」 ―― 後に彼はよくそう言ったものですが ―― そこまで追いつめられたあげく、筆を執り始めたのです。倦怠の微妙な陰影を表現するために書くのか、それとも、狂気の魔を振り払うために書くのか、おそらくは彼自身にしてもはっきりしていなかったと思えます。( 中略 )さまざまな種類の習作が試みられました。( 中略 )主題、作中人物、言語、読者、さらには作者自身、これらと作者との旧来の関係について彼は不信感を抱いていた ―― より純然たる究極的認識を求めて彼は新たな領域に侵入し、そして、そのたび新たな追撃へと駆り立てられるのです。さまざまな方法を試みながらも常にあきたらぬ思いを味わっている彼ですから、経験の総体を表現しつくそうと努める結果、その追求方式は奇矯の度を強めることになります。
(ベケットは)たまたま目にふれる彼自身の存在のありようにこだわるのです。書くという衝動は発作的に彼を把えるのであって、あとえばトロロープのようにスケジュールに従って執筆するというたぐいのものではありませんでした ――  141


たいていの作家は虚構空間に人を住まわせることに専念するわけですが、それとは逆にベケットの創造行為はそこから住民を排除することにあったのです。「続けられない、続けていこう」と『名づけえぬもの』は言います。漆黒の闇にさす一筋の光明をこの台詞に見る者もいますが、この種の読みをにべもなく拒むかのように、ベケットは最近作『ワーストワード・ホウ』を次のように結んでいます ―― 「すべなく続けよ」 ――  154


(ベケットは)老衰、不具、発話不能の状態にある者に声を与えます。身構えることも取りつくろうことももかなわず、定かな存在理由を持ちえないままに、ぎりぎりのどんづまりに佇む男や女の思いを彼は表出するのです。代謝機能が低下し、神の存在が希薄のきわみとなる状況においてこそ人間存在の核心に迫りうる ――  154


(ベケットの)美的感覚はベケットの喜劇的方法と関わりがあります。彼の最も苦悩に充ちた作品でさえも時に喜劇的様相を呈しているのです。悲惨な状況は非常に注意深く、しかも極度に入り組んだ細部にわたって記述されているので、悲惨そのものが滑稽な色彩を帯びてくるのです。たとえばモロイの「吸う石」(モロイは四つのポケットに四個づつ計十六個の小石を入れ交互にそれをしゃぶる)やウラジミールとエストラゴンの半長靴などがいい例です。 160

(作中人物たちは、まじめ腐った場面でも)アイルランド人らしくのんびりお喋りにふけったり、一服したり、何か食べたりしています。どんなときでも些事にこだわるゆとりをみせるのです。 163

重要な類似性として自己訂正あるいは相殺とでも言うべき特性が考えられます。一つの可能性について考えると彼らは直ちにその反対概念を想起し、その概念にも同等の重要性を認めるのです。 164
事実についてと同じように虚構についても懐疑的なベケットは『モロイ』をこんな具合に終わらせます ―― 「それから家にはいって書いた、真夜中だ。雨が窓ガラスをたたいている。真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」。ここでは是認と否認とが同時に進行するのです。 165


二者の一方に実在性を認めないとするならば、もう一方の実在性を主張するのは困難なことです。 166


イェイツはクライマックスを追求し、ベケットはペーソスを狙った。 169




スケッチ------------------------------------
「ベケットはペーソスを狙った」
クライマックス→物語、メリハリ、ドラマ。(イェイツについてどうこう言えるだけ読んでないのでスルーしておく)
いっぽうのベケットはペーソスを「狙った」のではなく、ありのままを書いていったらペーソスとしてのニュアンスが具わったんじゃないか。
「恣意的」なもの、それはわざとらしく、演出気味で、ベケットが感じていた存在や生のリアリティにはそぐわない気がする。



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