和歌山バガボンド  ~読書と木工、ときどき空想~

黒髪ボブの三十路ピーターパンがWakayamaライフを着流しでスケッチ

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ベケットとヴァン・ヴェルデ シャルル・ジュリエ 吉田加南子・鈴木理江子訳

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ベケットとヴァン・ヴェルデ シャルル・ジュリエ 吉田加南子・鈴木理江子訳 (1996
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「いつも、自分の中には殺された者がいる、という感覚があった。わたしが生まれる前に殺された者が。その人間ともう一度会わなければならなかった。もう一度いのちを与えようと試みなければならなかった……。前に一度、ユングの講演を聞きに行ったことがある……。ユングは自分の患者の一人のまだごく若い娘について話した……。最後に聴衆が席を立ち出したとき、彼は黙り込んでいた。そして自分に向かって言うように、今自分が発見していることに驚きながら、こう付け加えて言った。
『彼女は実は、生まれたことがなかったのだ』
わたしはいつも、このわたしも生まれたことがなかったのだ、と感じていた」 9


すべて倒れんとする者』から
ルーニー夫人 
いいえ、ただ心がひどくつらい、ということよ。夜になったら名前を思い出すわ。講演をした人は、とても奇妙でかわいそうな少女のことを話したの。そしてどうして治療を諦めることになったか喋ったの。何年も治療したけれど駄目だったのね。何も異常は見つからなかったのね。その女の子には別に何もなかったのですって。ただ、その人の話では、その子は少しづつ死んでいったの。それで手を引いたのね。そしてその子は実際に、間もなく死んでいったのよ。
( 中略 )
ルーニー夫人 
その女の子の話が終わったとき、その人はしばらく、少なくとも二分間はテーブルのところで背中を屈めていたの。それから急に顔を上げると、たった今閃いたように叫んだの。あの子はほんとうには生まれたことがなかったのだ、それがあの子の問題だったのだ、って。(間)初めから終わりまでメモなしで話したわ。(間)わたしは終わりまで待たないで出たけれど。 12


「すべての毒を投げ返さなければならなかった……。(毒という言葉は多分、知的な節度、知識、人が自分に対して持つ確信、生を制御する必要などを指している)。ふさわしい言葉《ランガージュ》を見つけ出さなければならなかった……。『モロイ』の最初の文を書いたときには、自分がどこに行こうとしているのかわからなかった。そして最初の部分を書き終えたときには、どうやったら書きつづけられるのか、見当がつかなかった。何もかもこんなふうにやって来た。消したりはしなかった。何ひとつ予め準備したものはなかった。じっくりと整えていったものなどひとつもない」 13


彼は立つと抽出からかなり厚い、表紙の色褪せたノートを取り出して、わたしに差し出す。『ゴドーを待ちながら』の原稿だった。細かい枡目が引かれたノートで、紙は戦時中の灰異のざらざらした質の悪い紙である。右の頁だけが、小さくて斜めに傾いた、読みにくい字で埋められている。感動にふるえながら、わたしはめくる。最後の方では左側の頁が使われているが、読むためにはノートを裏返さなければならない。確かにこの原稿には、書き直しは一箇所もない。台詞を幾つか読もうとすると、彼が呟く。
それは手と頁の間で、形になっていったのだ」 13



書くことによって、わたしは沈黙へと導かれた 14



「君のいうことは正しい。しかし倫理に関わる価値は、とらえることができない。そしてそれらの価値は定義できない。定義するためには価値判断を述べてなくてはならないだろうが、それはできないことだ。だからわたしは、あの不条理の演劇という観念に決して同意できなかった。なぜならそこには価値判断があるからだ。我々は真実について語ることすらできない。それは絶望的な苦悩の一部だ。逆説的だが、芸術家が一種の出口を見出すのは形によってだ。そして形のないものに形を与えることによってだ。隠されていて、しかし現われ差し出されるべきものがありうるとしたら、おそらくそのレヴェル以外ではありえないだろう」
 23


●ベケットの半生(bibo意訳) 23
若いときは作家になることは考えてなかった。
学業を終えると大学教授の道へ ―― ダブリン大学のフランス語の講師。
しかし一年後にその生活に耐えられなくなって、文字通り逃げ出す。ドイツまで。そこから辞職届けを送る。


1932年頃、フランスに来る。金も証明書もない。外国人が厳しく監視されていた頃のフランスだ。
アメリカの雑誌のためにした『酔いどれ船』の翻訳でいくばくかの金を得る。追放を避けるためロンドンに戻る。文芸批評家になることを夢見る。いくつかの新聞と接触するが、すべて無駄に終わる。
父が倒れ、両親の家に戻る。


ベケットは26歳 ―― 自分は敗北者だと感じていた。


1933年に父が亡くなり、彼は深く悲しむ。わずかな遺産を相続し、ロンドンへ行き、貧しい暮らし。
1936、長い危機の時代を経てドイツに。列車と徒歩による旅。
1937の夏、パリに来て、住みつく。ジールとブラン、ヴァン・デルデ兄弟と友人になる。しばしばジャコメッティとデュシャンに会いに行く。


戦争 ――


1942年、ベケット夫婦は危ういところでゲシュタポの手を逃れ、ヴォークリューズ県のルシヨンに非難。
1945年、母親に会いにダブリンへ。そのあと何ヶ月かサン=ローで、アイルランド赤十字社が設営した病院の倉庫係兼通訳として過ごす。
1946年、アイルランドに戻る。そして、この滞在中、書くことへの取り組み方を、そして物語についての考え方を根底から変えた、あの転回が、不意に彼の中で起きる。


ジュリエ ―― その意識は徐々に生まれたのですか。それとも瞬間的に閃いたのですか。
彼は危機について、突然の啓示の瞬間について語る。
ベケット「それまでは知識は信頼できるものだと信じていた。知的な面で準備を整える必要があると思っていた。あの日、すべてが潰えさった


「1946年までは知ることに努めていた。力を持とうと。それから道を間違えていたのに気づいた。けれど多分、間違った道しかないのだ。自分にふさわしい悪い道を、だがなお見つけ出さなくてはならない」 32


このときの彼の言葉が今もそのまま、わたしの口にのぼってくる。
ベケット「自分の愚かさが分かった日、『モロイ』を書き、その続きを書いた。わたしはそのとき、自分が感じていることを書きはじめたのだ ――
―― ( 中略 )
夜だった。よくそうしていたのだが、彼(ベケット)はひとりでさまよっていた。そして嵐に打たれる防波堤の端に来ていた。すべてがあるべき場所に置かれているように思われたのは、そのときだった。疑いの、探求の、問いかけの、失敗の年月(彼は数日後に四十歳になるところだった)が突然意味を持ちはじめ、なしとげねばならないことがはっきりと、押し返しようもなく見えたのだ。
ベケット「息をつくことができるために創らなければならなかった世界が、ちらっとだが見えたのだ


まだ母のところにいたときに『モロイ』に取りかかる。パリ、そしてマントンで書きつづける。はじめの部分を書き終えて行き詰る。
もう過去の日々の苦悩はなかったが、まだすべてが困難な状態のままだった。『モロイ』の原稿の一頁に次のような言葉が書かれているのはそのためだった。
「他になす術もなく」


以降1950年まで、真の創造の炎に燃えて『モロイ』『マロウンは死ぬ』『ゴドーを待ちながら』『名づけえぬもの』『反古草紙』を書く。これらの作品だけが彼の気に入っているものである。


「最後には、語っているのが誰なのか、もうわからなくなってしまう。主体が全面的に消えてしまう。これなのだ。自分は誰か、という危機が辿り着くのは」 33


否定は不可能だ。肯定できないのと同じぐらいに。馬鹿げていると言うことは馬鹿げている。それは価値判断を下すことでもある。抗議はできない。そして同意はできない
長い沈黙のあとで、
代名詞もなく出口もなく反応もなく態度を決めることもできない場所にいつづけなければならない……。そのために、書くということは途方もなく困難になる」 42


『ヴァン・ヴェルデ兄弟の絵画』サミュエル・ベケット(1948)
永遠に自分自身の中に隔離され、閉じ込められ、押し戻された存在。また痕跡もなく空間もなく、巨大で、短い閃光を放つ、黒のスペクトルに彩られた存在の揺るぎない塊《マッス》の間で。果てしのない剥ぎ取り行為、ヴェールの後ろにはまたヴェールが、半透明な面はどこまでも重なり合い、剥ぎ取り行為は剥離不能なものへ、無へ、新たなる何物かへと向かう。そして唯一のものの中へ、進入不可能な隣接地への埋葬。独房の石に描かれた独房、拘禁された芸術。 137



ブラン・ヴァン・ヴェルデ
「幻想を抱かずに、見なければならない。自分を守ろうとはせずに」 118



――



スケッチ
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これはシャルル・ジュリエさんの鼓膜《フィルター》に濾過されたエッセンスかもしれないが、いままで読んだベケット本にはなかった生の言葉 ―― 嘆きや呟き、物書き ―― 思索者としてのベケットが生の言葉を喋っている臨場感がある本だった。
常識にも、世俗のルールにも、暗黙の了解にも、狂気にも、宗教哲学や教理にも従わない ―― 従えない、受け入れられない、納得できない ―― 人間が、ではどこに礎をおけるのか、およそ使われているすべての言葉は価値判断に拠るからと、それさえも使わずに生きようとする人間が、それでどうやって狂わずにいられるのか ―― カフェで落ち合い、30分 ―― 60分 ―― 沈黙が続く。ひとつ質問をし、答えが ―― いや、なんらかの声(声でないこともあるのだが)が聞こえるまで、また60分 ―― それ以上の時間が経つ。
ベケットがまっとうし、まっとうしようとしていた生き様が垣間見える。
装飾も、比喩もなしに小説が書けるのか? 書くのだ、というトライアルですらない。ベケットはトレースしたかった。実感を、生きることを。その結果が沈黙へと接近していく作品群であり、彼は「不条理」と呼ばれることを忌み嫌っていた、本当はそうだった。
なぜ? 言い尽くされていたのではないか?
「ベケットは不条理を描いた」と。
―― そのくだりもこの本に書かれている。




ベケットMEMO
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疎外の構図  ―安部公房・ベケット・カフカの小説―  ウィリアム・カリー 安西徹雄訳
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-64.html


ダブリンの4人―ワイルド、イェイツ、ジョイス、そしてベケット
R・エルマン 大澤正佳訳(1993
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-57.html



なぜベケットか/イノック・ブレイター 安達まみ訳(1990
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-58.html


ベケット論/リチャード・N・コー 諏訪部仁訳(1972
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-59.html


ベケット 果てしなき欲望/アラン・バディウ 西村和泉訳(2008
http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/blog-entry-60.html





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