バガボンド和歌山

ARTICLE PAGE

デザインは空っぽ

打ち込もうと
打ち込まずにいようと
仕事はあって
それは幸運でもあろうが
正直な気持ちはごまかせない
夢中にはなれない
三ヶ月 ―― 半年は言いすぎだが
本を読み
実践し
仕事に活かそうと
やってはきた
でも、これではない
そう思うに至った


学生時代から
だらだら、ごまかすみたいに
デザインをやった気できて
一念発起し、
とはいえ、たかだか半年、
一年 ――
それっくらいの作業で
なにがわかるのか
なにもわからない
あたりまえだ
わかったことをいうつもりは
さらさらない


それなりに集中できる仕事
デザイン ――
ディレクターと打ち合わせ
話し合った通りに仕上げ
できればそれ以上になるよう
意識はし
楽しかったこともある
でも、いまは
「それで、だから、何になる」
いや、ふてくされた気持ちはない
現実として
冷めた感覚があり
こみあげるものはない
まるでない


向上心という言葉は
上に向くと書くので
そもそも好きではなく
成長という言葉も信じていない
ただ
良質な変化というものはあろう
変化し、それによって質があらたまる
かつてなかった仕事が
手元に残るような
体と心の変化
および ―― 環境の変化
ポジティブなものを迎え入れ
招き
その混ざりあいにまた変化する
そのような時間への希望が
おそらくは「向上」や「上達」、
「進化」という言葉には託されていて
おれは、デザインを極めるつもりがないので
その気持ちにならない


デザイン ――
紙物がつまらないとか
奥行きがないとか
そんなことは思っていない
紙物のデザインがわかった、なんて
まったく思っていない
ただ、いまやっている仕事は
モニタで色や形を操作し
組み換え
位置を変え
それらしい形にする仕事
クライアントが求めるタスクを念頭に
パズルを解いていくような感覚


紙物のデザインには
手の感触が残らない
いまやっている仕事はデザインで、
それは手仕事ではない
さらに製本、印刷はじぶんの仕事ではない
機械工とマシンがやってくれる
形になれば嬉しいが
あっというまに
その気持ちも消える
手仕事の感覚も
充実感も
体にも心にも残らない
そしてアプリケーション依存
フォント会社依存
ADOBEとモリサワ
この二社が大幅に仕様を変えれば
それに応じなければならない
道具はバーチャルな成り立ちで
プログラミングされていて
触れることができない
どれだけ身体感覚に沿うようカスタムしても
アプリケーションやフォントが変れば
仕事には必ず影響が出る
モニタ、PC、キーボード
どれもメカニズムはわからず
治すことはおろか
どのように起動しているのかさえ
まったくわからない
わかりたくもない


紙物のデザインがつまらないのではなく
このようなあやうい仕様に
「使われ」ている常態
そして
「使われ、作用され、依存し、逃れられない」
先行きに
おれは乗れないし、
乗りたくも無い
これが仕事だといわれても
一生をかけて打ち込みたくはならない
向いているし
やっていれば時間が経つのも早いし
それなりに面白くて
座っていられる点では体も楽だが
これ以上、
PCを使った紙物の(ウェブの)デザインに
意欲が湧かない


湧かなければ
空っぽ
空っぽというのはどういうことか
それまでにやってきた
様々な仕事は
業務は
形にしてきたデザインは
どこへ行ったのか
あたかも
はなっから存在していなかったかのように
体にも心にも残らず
さっぱり感じ取れず
こころもとない
それは
もしかしたら
存在していることの空虚感かもしれず
だとすればデザインに限らないが
すくなくとも
手の感触がない
というのは本当のところで
フィニッシュワーク(製本や出力、印刷)に立ち会わず
おれは
これがおれの仕事だと
いつも言えなかった


湧かなければ
空っぽ
あのときの集中は
手ごたえは
カチッとパズルがはまったときのような
的を得た興奮は
どこへ行ったのか
すこしでも
体や心に
残っているならば
「空っぽ」なんて言葉は
口に出ない
感触が
充実が
湧き続けなければ
空っぽ
いちど湧いたって
消える


生きている間、
こうなのか


スポンサーサイト

Comments 0

Leave a reply