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平田オリザ『演技と演出』

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平田オリザ『演技と演出』
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要約----------
・現代劇は心理を根拠にしている。とくに俳優の台詞、演技の根幹が、演じられる人物の心理にある。


・観客の想像力
すべてを作家・演者が作るのではない。観客の想像力を起動させ、そのギリギリのところに向ける。内側でもいい(定型に乗った作品)。すこし外側もありうる(前衛劇)。どちらにせよ、作り手はその作品がどれくらいの想像力を求めるかを自覚し、演出すること。そして、「ああ、こうなると思っていたよ」と思わせる。当たり前すぎると弱く、遠すぎても観客から集中力を削ぐ。どのように収束させるか(これはこういう話だな、こんなふうになっていくんだな)が技術。恋人同士っぽいがそれは説明されていない二人を舞台に立たせると(この二人は恋人なんじゃないか……)と思わせることができる。それを、さきに語ってしまったら退屈させる。


・人間は、単一行動を繰り返し訓練するより、複雑なものをトータルで身に付けようとする行為でより高度な、深みのある会得が生じる。複雑系の考え方が根拠。「意識の分散」。学習や稽古をこのように行うことで(非細分化、非合理化)、目の前の現実に対処する、生きる力も養える。


・人間性と社会性、どちらも描くべき
内面など抽象性が高ければ、社会的な背景や問題、仕事の面などをきちっと書く。後者を扱おうとする作品なら、人の心や人間関係をくっきりと浮かび上がらせるように。どちらもあって説得的な作品になるのでは?
演劇においては会話の内容・比率に関わってくる重要な問題。


小津安二郎『東京物語』の分析
家族、親孝行がテーマ。人間的な名作。
社会的背景が描かれてる。
地方から都市への人口の流入。復興を遂げつつある東京の街並みが、印象的なカットで挿入されている。上京してきた老夫婦をいたわるのは切りの嫁(原節子)という人間関係。しかもこの嫁の夫 ―― 夫婦の次男は「戦争」で死んでる。


・笑いの構造 167
笑いは「社会性と人間性の侵食=喜劇の構造」に発する。このメカニズムを会得しているかどうかで、一発ギャグを描いておわるか、狙いどころで笑いを入れるプロになれるかが決まる。
「タキシードの紳士がバナナの皮で滑ると面白い」
「生徒を説教している教師が電話に出て、妻から夜の買い物を事細かに命じられる」
バナナの皮を見つけよう。


実は、悲劇も同じように社会性と人間性とのぶつかりあいから生まれる。


・最も遠いリアル
たとえば「科学者」なら、科学者に見える(舞台上でそう機能する)ならどのように演じられてもいい。でも、いつのまにか「標準」を演じようとする。馴れた役者が陥りがち。役作りを保守的にしない。


・実験を繰り返す ―― 刺激のトーン
舞台を作る現場では、以下のような選択肢の中から最も面白いものを選んでいく。弱すぎると反応が起こらないし、強すぎると観客の想像力の外に出てってしまう(リアリティの範囲を超え、世界が崩壊する)。
弱い刺激 ―― 久保君が、ただ通り抜ける。
内部への直接の刺激 ―― 久保君が、杉本さんに「ごめん」と謝る。
内部を崩壊させる刺激 ―― 杉本さんが、「ふざけんじゃないわよ!」と言って、二人をおいかける。
極端に強い刺激 ―― 「火事だ!」と叫んで通り抜ける。


・演出家の登場 175
演出家の登場は「リアリズム」という考え方の登場と、ほぼ時を同じくしてる。
十九世紀後半になると、人間の生活も複雑になり、そこから立ち現れてくる悩みや苦しみ、哀しみも一筋縄じゃいかなくなった。
たとえばそれまでは従属的な存在だった女性の目覚め、社会的な自立。あらたな葛藤が生まれる。→イプセン『人形の家』。ここから王様や家来がそれらしくふるまって済む演劇ではなくなる。
→俳優・スタッフとのイメージの共有が必要になる。
→コンテクストのすり合わせ、世界観の伝達、方向性の示唆、交通整理
→観客にどう伝えるか、伝える形の具体的な提示や工夫
これが「演出家の仕事」だと思っている(オリザさん)。


・演出法
スタニスラフスキー・システムや、メソード演技など、偉大な発明だが、人間の内面に重点を置くだけに、宗教の教義のように扱われたり、カルトに傾く危険性がつきまとう。
『ガラスの仮面』「木は顔をしかめない」。
暗黒舞踏のカンパニー「ときどき脛を蹴る。ダンサーが痛がる。“木は痛がらない”」
(オリザさんは「歌舞伎などは型から入るが、それでも観客は感動する。私は俳優の内面には関心が無い。偉人達から多くを学んできたけれど、私自身の演出としては精神性よりも、コンテクストの共有をいかにやれるかを重点に稽古を重ねる」と言ってる)


カルト・自己啓発と演出・訓練に線引きはできない。そもそも「自己啓発セミナー」自体が、アメリカのベトナム帰還兵の社会復帰のために、心理学者と演劇人によって共同で開発されたもの。(199)


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