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『太陽を見つめて』 ジュリアン・バーンズ 加藤 光也 (翻訳)


靴ひもゲームをやっても病気になるのかしら、と彼女は思った。なんでも素敵なものは病気のもとということになっている。チョコレートや、ケーキや、イチジクは病気の元だし、叫びっこをすると百日咳にかかる。靴紐ゲームをやればどうなるのかしら? 21

父や母は自分たちの心をちゃんと知っている。ふたりはそれぞれの意見を持ち、善悪の区別を知っている。ジーンは、自分に善悪の区別がつくのは、そのちがいについて繰り返し教えられてきたからに過ぎないような気がした。両親の意見がやかましく鳴く蛙のようなものとするならば、自分の意見など、まだぴくぴく動くか弱いオタマジャクシのようなものだ。いっぽう、自分の心を知るには途方にくれるような過程を踏まなくてはならないと思われた。自分の心を知るといっても、まず心なるものを発見するためには、その心を使わなければならないのではないだろうか? 短く切られた自分の尾をくわえようとしてぐるぐるまわる犬みたいなものだ。ジーンは考えただけで疲れてきた。 27

ああ、そうさ。ぼくらはそう呼ばれることもある、ニンジン食らいってね。だけど、じっさいにはそんなことは関係がない。技術的なことなんだ。要は計器盤の明かりの色さ。明かりは赤でなくちゃいけない。普段は緑や白色だけどね、緑や白色だと夜目がきかなくなる。物が見えないのさ。明かりは赤でなくちゃいけない__うまくいくのは赤い色だけなんだ。 36

ひょっとすると、男のひとたちは求婚者のタイプと夫のタイプに分けられるのかもしれない。レズリーおじさんやトミー・プロフェッサーはおそらく求婚するのはうまいだろうけど、彼らと結婚するのは間違いだ。彼らはちょっとヤクザな感じだし、彼らの世界の説明のしかたも当てにならない。それにたいして、父やマイケルは多分いい夫になるだろう。ふたりとも、いかがわしくは見えないし、地に足がついている。そう、そういう見方もあるんだ。男のひとは地に足がついてるか、それとも、考えがうわついてるかのどちらかだ。初めて会ったとき、マイケルは自分の足に注意を向けさせた。左右があべこべになっていたけど、それでもしっかり地についていた。 54

「 その話はよそう」と彼はきっぱりした口調で言った「もういいよ。なんとかなるさ」。彼が両の手のひらで彼女の顔を覆ったので、石鹸のにおいがした。片手は額から鼻先までを覆い、もう片方が口から顎までを覆っている。かすかに開いたニ本の指の隙間から、光がわずかに洩れ漏れてくる。彼はそうして、しばらくのあいだ、やわらかな両手の檻のなかに彼女を閉じこめていた。 90

中国にはひとと思いがけずで出会ったときに使う古い挨拶があって、それは「アジアの時代」からの礼儀になっている。まず立ちどまってお辞儀をし、それから儀礼的にこう祝辞を述べるのだ「今日は太陽が二度、昇りましたね」 261



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