和歌山バガボンド  ~読書と木工、ときどき空想~

黒髪ボブの三十路ピーターパンがWakayamaライフを着流しでスケッチ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

透明度《プリズム》のために ―― インタールード

0   0


P5174225.jpg


たくさん書いてはきたけれど文章を書くのがいつまでも苦手で、たくさん読んできたはずだが読むのもやっぱり好きじゃない。そんなおれがプロの作家を志し、闇雲に走った8年は頓挫した。暗がりに飲み込まれて目を開けてるのも止めた、もー止めたよ畜生……やってられるかおれもてめぇもみんなクソだ……ってケツまくってトンズラこいた。あんときから750km離れた田舎に今は住み、なのに諦める度胸もなく、ずぶずぶ……くすぶった感情に引き寄せられ、ぽつりぽつり話しはじめた。

お先真っ暗でも書き物暮らしにしがみつかずにいられなかった後半の数年、そこでの心身の不調 ―― 胎動はあったかな。中ほどは端折る。先日の日曜美術館、片岡球子の浮き沈みと復活劇にうたれたんだ。勢いのまま「甦った」と書きたいところだが躁のアイツにとってかわられるのはマズい、いったん息をして、何日か寝て起きて寝て、あらためよう ―― と思って二週間経った。気分は変わらない。やりたい。やっぱり、おれは書きたい。ただ、まだ怖い。机に座って素直に書けない、逃げたり避けたり、別のなにかにかまけてしまうことの悪癖……

明日からの、いや今日からの仕様を考えよう。しかし注意書きつきで。

メンタルやフィジカルの按配、調子を言葉で捉えるなんて無理、規則や調子の上下動、その正体だって射止められない(実態のないもの/言葉じゃないもの)。それっぽい答えや分析が行えようと、それは言葉に置き換えられた仮想《イミテーション》だ、バイオリズムそのものとは大きく違う(違うというより、重なるところはあるかもしれないが矮小化されている。現実、正体は果てしない)。今日のおれが明日のおれじゃないように、おれのなかのバイオリズムと呼ばれるそれも変化していて、体の癖や言葉の癖が移ろうのと同じ ―― 年月が経つにつれて形や色を変えてるんだろう。終わりない追いかけごっこだ。おれが追っかけてるっていうのも意識過剰、被害妄想、追われてるのが(おれ)かもしれない。

諦めは悪い。追われようと追いかけずにいられなかろうと、おれはへこんだ頭で改善策を捻り出し、そのやり方やサイクルを言葉に止めるだろう。当然、そこで書きとめられるのは理想像だ、現実離れしている(という推理はクドイほど繰り返そう。自己愛と歓喜が障り、忘れがちだ)。それらはプルーサイドで行われる催し ―― 頭のなかだけでなされ、言葉は正体を明らかにしない。書き上げられた内容は途端に旧びる定め、日々変化する調子に置いていかれるんだから、ときに足かせにだってなる。頭の回転や冴え、直感を鈍らせる重石 ―― 文面にあらわれるトピックもまた答えじゃない、全能じゃない。

ここにつまびらかにするは、不足していて未熟で、足らない現在の自分による偏見だ、と思ってすすめる。言い換えれば手がかりの「ひとつ」としての覚書。覚書、あるいはそれ以下だ。

前回、義務感や責任感だけでは作り続けられないと書いた。心にピュアな情熱が湧いているからこそ、必要なタスクが明らかになり、進む場所が見え(仄かだとしても)、ポジティブな変化が生じるんだ、と。

欝っぽくなり自信も激減し、ダメになったけれど「心のなかで火は燃えている」と信じた。情熱は生きている。しかし、その熱の感じられない体質に変わったんだ、作ることへの恐怖心、長年の無理がたたった疲労、疲労感や辟易、自己嫌悪感および他者への不信感が沈殿し ―― メンタルに湧く火や熱、光と、今のおれの諸感覚に隔たりがあってリンクできない。

「意識が濁っている」のか? それで情熱が感じられない?
情熱をもってトライするには意識の透明性を甦らせなければ ――

これが前回の要点だった。

------------------------------------
Q.では「澄んだ感覚」でいるには?
------------------------------------




(つづく)




■●―  ―■△■――●●△■●――――

関連記事
スポンサーサイト

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://bibobibobibo709.blog.fc2.com/tb.php/85-e703979e
該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。