和歌山バガボンド  ~読書と木工、ときどき空想~

黒髪ボブの三十路ピーターパンがWakayamaライフを着流しでスケッチ

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透明度《プリズム》のために ―― 02

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Q.では「澄んだ感覚」でいるには?
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ひとつにはポジティブ思考(熱や像を感じとれるコンディション)。メンタルの前向きさは自然現象や突発的な事態を受け止める/受け流す余裕や幅、マージンになる。

 →「前を向いていられるのはなぜか」といえば見続けたいから。
行き先に光/目的/実現させたい何かが見えていて、顔を背けたり余所見する気持ちにならず(なりにくく)必然的に体も気持ちも前方に向く。
(後ろ向きにさせる元凶にも気を配ろう。「濁るのはこんなとき」として下にいくつか挙げておく)

ポジティブでいたいからといって根性論や鉄則(マイルール)を暗誦したり、「成功にはこのやり方が正しい(他人の成功譚の盗用/等身大の自分から目を離すズルさ、弱さ)」などと頭ごなしに刷り込んでも続かない。

 →ポジティブでいるには必然性があるか、自然であり運動であるか、目的→手段→行程→主体(おれ)と客体(仲間や師匠との協力関係)が有機的・逆算的に結びつき、体系としてあるがままかどうかがポイントだろう。

 →そもそも「苛立ち、理不尽、くたびれ」とはなんなのか。
上に書いた<目的→手段→行程→主体(おれ)と客体(仲間や師匠との協力関係)>にエラーや敵、事故が起きていて「滞っている」という意識か?
除外したい、ルートを通したい、傷を修復したい。

  →凸凹のない道があるか ~イラついて自然じゃないか
人生も行程も凸凹道だろう。だとしたら「イライラ」は消えない。ネガティブな感情にしても四季のように心を巡る。喜怒哀楽は生きてる証みたいなもの。
(ここでいうポジ/ネガにしても主観で、人間世界、あるいはおれがそのように分け、隔て、思い込んでいるだけだ。「悪さ/マイナス/暗さ」→ネガといわせる何らかの評価軸がある。正しさ、プラス、明るさはクリアされるべきシナリオのある設定に生じる価値観だ。これは主観でありストーリー。1.つまり書き換えることができる→ネガは本当にネガか? 2.ポジ/ネガという二項対立、分化、善悪の対立構造は物の見立てとして幼い。その出来事や現象にとって色づけは不当だし、人間の(おれの)勝手な物見であり、分け隔てるとしてもAとBだけでなく、いくつもの価値観やアングルが出てくるはず)

イラつきはあって自然。だったら無理に取り除こうとしない。取り除くというのは不自然だし歪、悲喜こもごもあるのが人生だった。悲しさを取り除くなんて心理へのロボトミーかもしれない。
まして生活のなかで何かを作るとしたら、その制作や作品は「おれという人間がやってること」だ。ネガティブな感情も汲み、添って生きていくからこそ、おれ今生きてる事実や現実に即したもの作りになるはず。大事なところなので念を押すが、意識してメカっぽく非人間っぽい制作を行うのでなければ、心の片隅に押しのけてるダメで歪でクズい自分を隠したり繕ったりせず、そのまま炙りだす以外にない。

苛立ち、理不尽で幼くて、ドジでかっこつけたがりで痛んでいる、どうやら疲労困憊の自分だからといって「嫌わない」。

■―  ―■△■―●――――

話を戻す。
Q.意識に対して透明でいる(澄んだ感覚)にはどうすればいい?

上には「ポジティブ思考」にまつわるメモをした。
もう一つ、こうも思う。
濁るのが自然だとしても、まぁできるだけ「濁らさなければ楽」なんじゃないか、と。

●濁るのはこんなとき
・心底嫌なことをしてる
・「苦しい、かなしい、つらい、さみしい」が過多
・なかなか成果が出ないタスクに縛られている
・慣れや規則、セオリーに従って(依存して/盲目的に則って)行動してる(現状にそぐわない慣習は心身を錆びつかせる
・体力的に無理してる(調子がいいときにやりすぎるケースも多い)
・躁転に甘える(依存する/委ねる)
欲張る→色々トライする→時間、体力的に限界がある→中途半端→トピックだけが散逸する→やる気や情熱がちいさく分裂→裂けたところで火が消える

●濁る→反転でリライト
・したいことをする
・暮らしのなかに気持ちいい、美味しいを増やす
・簡単に結果の出る何かを簡単にこなし、成果の手触りを感じる
・慣れやルーティンに依存せず、現状/内声/本音に添って行動する
・体力的に無理をしない
・欲張らない。もっとも大事な、なによりもしたいことを集中してやる。それをすることは、捉われがちな「ちいさな衝動」や「こまかなトピック」がぶら下げる人参→ちょっとした「成果」をも含んでいる。分散させ、みすみすフィードバック効果をちいさくさせるんじゃなく、度胸で腰をすえ、ひとつのこと(複雑系のタスクがいいと平田オリザが言ってた)に集中してみる。

(ひょっとしたら複数を同時並行し、いろいろ失敗したり体験することが必要な時期もあるかもしれないので、一極集中を絶対とはしない。うまくいかないという経験も、そこに取り組む時間も感触も、すべてが血肉になる。「うまくいく/すすんでる/ながれている」という経過・結果への依存、というのもあるかも。ポジティブな変化を期待するとき、結果より経過を重視していくのがセオリーだが、たとえば「うまくいく」というのは経過で、ならそれでいいのでは? 何かに取り組み、その時間が滞りなく進んだり流れていればオールOKじゃない? そうかもしれない。だがなんとなくザラついた感じがあるんだ。見落としや偏見がどこかにあるときの、あの嫌な感じ。「うまく事が運んでいる」というのはなんなんだろう。ほぼポジティブ、OKな状態としてふだんは考えもしないし、考えないどころか正解の感触として頼りにしている。でもさっき書いたようにポジ/ネガは「あるがまま」でなく過剰な入れ込み、主観による色分けなので、ポジをネガとして言うことは可能だし、逆もしかりだ。「うまく事が運んでいる」のは体や心によくないのかもしれない。どこかに穴がある。それは「いい時があれば悪いときも来る。油断するな」という忠告の話とは違う。「いい/OK」と判断し考えを止めることの危うさ ―― ひとつはそれだろう。工夫も発明もしない。「うまく事が運んでいる」あいだにどんどん下手糞に不器用に、ダメになっていく危険性がある?)

そういえば、感覚が濁るって、なんだっけ?



(つづく)



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