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『バロック音楽』アントニー・バートン編 角倉一郎訳(2011)




バロック音楽アントニー・バートン編 角倉一郎
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バロック時代ってなんだっけ? 
バロックって何年ごろで、その前の時代ってなんて呼ばれてるのか……バッハとヘンデルが作曲した楽曲の演奏を録音したレコードを聴く機会があり、そういえば知らないな、バロックってなんなんだろうとわからなかったのでこの本を読んだ。

ちなみに、ウィキペディアには
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バロック(仏英: baroque)という語はポルトガル語 barocco (いびつな真珠)が由来であるとされ、過剰な装飾を持つ建築を批判するための用語として18世紀に登場した。転じて、17世紀から18世紀までの芸術一般におけるある種の様式を指す語として定着した。
音楽史的な観点から「バロック音楽」に組織的に言及したのはドイツの音楽学者クルト・ザックス(1888年 - 1959年)である。彼の1919年の論文 "Barockmusik" によれば、バロック音楽は「彫刻や絵画等と同じように速度や強弱、音色などに対比があり、劇的な感情の表出を特徴とした音楽」と定義される
しかし、17世紀から18世紀にかけての音楽には地方や時期によって様々なスタイルのものがあるため、バロック音楽の特徴を簡略に総括する事は難しい。たとえば、フランスでは、フランス音楽史にバロック音楽は存在しない、と主張し、この時期の音楽を「古典フランス音楽」(la musique francaise classique)と呼ぶ者もいる。
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と書いてある。

《コメント》
バロックの前時代は中世、そしてルネサンス。バロックはルネサンスという時代、芸術があって生まれた様式だった。
バロック時代は1600(イタリアでオペラが誕生)~1795とされる。この1795はヘンデルが死んだ年で、ここがバロック、後期バロック(時期によって呼び名が違う)の区切りとされる。ちなみにバッハは1685~1750を生きた人で、生まれはヘンデルと同じ。バロックを代表する二人の巨匠はタメだった。

バッハはオルガニストでありバイオリニスト。当時の音楽家は鍵盤と弦楽器はできて当たり前、でなければ専門家になれなかったらしい。イタリア・ルネサンスから芸術の魂を学び、対位法などバロック特有の技法を確立したバロックの父、クラシックの父といわれる。教会に勤め、王族にも支持された。パトロンの支援によって活動するのは当時の音楽業界のシステム。ヘンデルは民主的・民衆的な音楽のあり方(ビジネス・業態)を開発し、これは作曲者・聴衆・興行主が王侯貴族から民衆レベルに移行していく古典派以降の流れ、その魁ともいえる。

バロックは時代によって違う名前である。また、ルネサンス期のイタリア芸術がヨーロッパに伝播していったあと、ヨーロッパ各国で受容・特徴が違ったことにより、バロック音楽もまた独自に発展する。

●ドイツ
1600ごろのドイツはルター派(プロテスタント)とカトリックが戦争していて、人がたくさん死んだ(殺し合い)。宗教の対立は30年にわたって続き分裂は解消されなかったが、音楽的にはルター派、カトリックの技法・様式がしだいに融合していく。
当時のドイツにおける音楽の機能として重要なのは宗教性であり、教壇のトップが教義をより深く宗徒に印象付けるべく使われたらしい。たぶん、いい音楽はいい、敵の音楽でも使えるなら取り込む、という節操のなさ(作り手・作らせる側として自然な欲求)が音楽的な融合を促進した。政治・信条・イズムよりずっと早く音楽が分断を越え、差別を越え、結合したり反応することで変化していく現象がこの時代にも垣間見える。

●フランス
イタリア・ルネサンスの強烈な影響下にあったドイツに比べ、フランスは独自のバロックを確立する。フランスが自律性を保てた理由の一つは、ルネサンス時代の中心的な楽曲・スタイルだったオペラがフランスで広まらなかった点が挙げられる。フランスには貴族社会のなかに踊りと歌、劇音楽の文化が出来上がっていたので、オペラに染まらなかったのだと。また、オーケストラという大所帯楽団の組織もフランスが起源とされる。
のちにクープランがイタリア音楽とフランス音楽を楽曲のなかで構造化《ミクスチャ》し、それぞれの特徴を対比的に浮かびあらせるような音楽を作る。彼の存在もフランスのルネサンス・バロックへの距離感、客観性みたいなものを感じさせる。

●イギリス
「なんにせよ、海を渡って入ってくる」ので機会均等、各国からの影響が等しかったのか。そんな簡単な話じゃないとは思うが、イギリスのバロック音楽はイタリア、ドイツ、フランスの魅力的なハイブリッドらしい。
「発展は遅まきだった。新しいイタリアの通奏低音が普及したのは1630年代、ピューリタンは教会と劇場から公共の音楽を追放し、教会と宮廷が音楽を取り戻したのは王政復古以降のこと。新国王チャールズ2世(軽薄な君主と陰口を叩かれた)が亡命時代をすごしたフランスの熱を英国にもたらしことが復活・発展のはじまりとされる」
ジョージ・フレデリック・ヘンデルがドイツ生まれでイタリア育ち、のち、フランスのバロック様式につよく影響されたイギリスの国籍を取得するに至る経歴は、イギリスのバロック、その本質を映し出す鏡のように見える。


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音楽史的には
1600-1759(160年) バロック
1759-1828(70年) 古典派
1828-1914(85年) ロマン派
とされる。


メモ ――
古典派
盛期古典派音楽のうちウィーンを中心に活動した作曲家は「ウィーン古典派」の名前でも知られている。ヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン等が有名である。ハイドンとモーツァルトは、前古典派古典派初期における音楽様式の発展の中心であったイタリアや、マンハイム楽派、ベルリン楽派などの各地の様式の影響を吸収しつつ、それらを集大成した。それを土台にベートーヴェンがさらに豊かにその様式を発展させた。彼ら自身や人脈の活躍、作品の流通を通じて、その様式は欧州各地に影響を与えた。

ロマン派の作曲家 】
初期ロマン派音楽(1800~30)フランツ・シューベルト、カール・マリア・フォン・ウェーバーなど
盛期ロマン派音楽(1830~50)ロベルト・シューマン、フェリックス・メンデルスゾーン、フレデリック・ショパンなど
後期ロマン派音楽(1850~1890)フランツ・リストの後期、リヒャルト・ワーグナーが楽劇の時代に入り、ジュゼッペ・ヴェルディが成熟期に入る。その他アントン・ブルックナー、ヨハネス・ブラームス、セザール・フランク、国民楽派など
世紀末(1890~1914の第一次世界大戦勃発まで)グスタフ・マーラー、ジャコモ・プッチーニ、リヒャルト・シュトラウスなど



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